「戦争はレイプです。私たち原告の背後には、幾千万人のアジアの人々のさまざまな叫びがあること覚えたいと思います」(木村公一牧師)

安保法制違憲福岡訴訟の第1回口頭弁論が開かれました。
山﨑あづさ弁護士による訴状の要旨の陳述に続き、原告団から石村善治福岡大学名誉教授、木村公一牧師が意見を平和への思いを訴えました。

木村公一牧師(西南学院大学および福岡大学非常勤講師)による意見陳述を紹介します。

驚いたことに、森のまんなかには空き地があった
それは、道に迷った者だけが見つけられる
生い茂った木に隠された空き地・・・であった
トーマス・トランストロンメン

わたしは牧師として、神学者として、また、キリスト教教育者として、日本および諸外国で40年近く働いてきました。その間、神学校や大学の学生たちと共に、「平和を実現する」(マタイ福音書5:9)人格と精神とは如何なるものかを探求し、自らの内に「平和を実現する人格と精神」を形成することを目標とした教育に、微力ながら携わってきました。そこで、この度の「安保法制」によってわたしが受けた精神的な侵害および存在的な損傷について意見陳述をさせていただきます。

キリスト教教育は罪過・悔恨(悔悛)・再生の三つの時間から成り立つ人間の経験を重要視します。それは≪人間≫を理解するための基礎であり、経済活動を主軸に展開する≪歴史≫を理解するための重要な視点を提供してくれます。この罪過・悔恨・再生という三つの経験には、個人的な人生だけでなく、自分が属する社会集団や国家の罪過・悔恨・再生が本質的に含まれています。

すなわち、日本国民は、台湾と沖縄への出兵(1874年)からアジア太平洋戦争にいたる植民地獲得のための侵略戦争の罪過の歴史について悔恨し、新しい憲法を制定して(1947)、再生をめざしました。日本国民は、とりわけ、日本国憲法九条に「罪過と悔恨の歴史」を反映させ、後に、サンフランシスコ講和条約11条(1951年署名)によって、国際社会に対して「罪過と悔恨」からの再生を誓ったのです。この講和条約にはさまざまな歴史的問題があるにせよ、自分たちの「罪過と悔恨」を国際社会に表明した事実については、いささかも無視されてはなりません。

特に、憲法9条は私たちの父祖たちが侵略したアジアの人々に対する反戦平和の意思表示であり、国際社会に対する罪責告白(悔恨)でもあるのです。この度の安倍内閣による安保法制は、私たちの罪過・悔恨・再生の三つの経験から生み出された憲法を蹂躙する暴挙であるだけでなく、私たちが培ってきたアジアの人々との平和・連帯に対する破壊行為でもあります。この暴挙によってこころに深い傷を負わされたのは私たち日本人だけではありません。アジアの多くの人々は日本に対する不信を抱き、計り知れない苦痛を味わわされています。

そのひとつの例を申し上げて、わたしの意見陳述を終わります。わたしは2002年までの17年間、インドネシアの中央ジャワで神学大学の教員として教えていました。ある時わたしは、日本がインドネシアを植民地支配していた1942年から3年6ヶ月の間に、日本軍の性奴隷(慰安婦)にされた被害女性が多くいることを知り、現地の人々の助けを借りて、聞き取り調査をし、その成果をインドネシア語で出版しました。わたしがこの調査と研究によって、はじめて認識させられたことは、「戦争とはレイプである」という単純かつ重大な事実に裏づけされた命題です。

その被害女性のなかに、スカンティという女性がいます。彼女は当時9歳の少女でした。彼女が生まれ育ったプルウォダディにもオランダ軍の施設を接収した日本軍が駐屯しました。スカンティはその部隊長オガワの「性奴隷」として拉致・監禁されたのでした。3年前、「『慰安婦』問題に取り組む九州キリスト者の会」がこの女性を福岡に招き、西南学院大学の協力を得て、証言集会を持ちました。多くの聴衆を前にスカンティは語りました。「9歳の少女であったわたしは自分の身の上に何が起こっているのかも分かりませんでした」。去年の春、わたしはインドネシアにこの女性を訪ねました。会話が「安保法制」の話になると、女性は「日本は、私たち被害者に対して謝罪も賠償もしないで、また、戦争の準備をするのですか ?!」とわたしを問い詰めました。

9歳の少女の人生をその身体もろとも破壊した部隊長オガワの犯罪は、人間性を破壊されたものでなければできない蛮行です。彼もまた戦争によって人間性を破壊された存在だったのです。にもかかわらず、彼は責任能力をもった加害者、しかも国家犯罪を演じた加害者なのです。1990年期半ばに、二万名をこえる女性たちが、わたしの関係する調査団体に日本軍の性暴力の被害者として登録しています。

赦しを申し出る道、和解を受ける道があるにもかかわらず、日本政府は未だ事件を解明することも、責任をとることもしていません。「戦争はレイプです」。したがって、この度の安保法制は「新たなレイプ」を合法化するための法律であると、わたしは被害女性たちの名において断言します。これがレイプの戦争を経験したアジアの人々の「叫びと主張」です。私たち原告の背後には、幾千万人のアジアの人々のさまざまな叫びがあること覚えたいと思います。

冒頭の詩は、スウェーデンの詩人で2011年にノーベル文学賞を受賞したトランストロンメンの「空き地」という詩の一節です。私たち日本人は進むべき道を見失った民であると思います。けれども、道を見失ったことを気づいた者だけが、道を見つけることができるのも確かです。失った道を共に取り戻すためにも、わたしは、この安保法制の憲法違反を福岡の法廷の名において裁いてくださるよう裁判長に訴えます。
安保法制違憲福岡訴訟-この道であっていますか?
平和を求めるみなさんの気持ちを国にぶつけませんか。子どもに平和な未来を残す大人の責任として。
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