「私は、無謀な戦争を体験し、同時に親族、友人、知人を数多く失った市民の一人として、戦争の発生、暴発を日本国憲法の平和主義の名のもと、司法の力で止めるためにこの訴訟の原告として参加しました」(石村善治福岡大学名誉教授)

安保法制違憲福岡訴訟の第1回口頭弁論が開かれました。
山﨑あづさ弁護士による訴状の要旨の陳述に続き、原告団から石村善治福岡大学名誉教授、木村公一牧師が意見を平和への思いを訴えました。

石村善治福岡大学名誉教授による意見陳述を紹介します。
1  私は、1927(昭和2)年2月19日に生まれました。
戦争終結の日(1945(昭和20)年8月15日)は18歳、旧制福岡高等学校文科2年生でした。
学友30名のうちほぼ半分は軍役(召集・幹部候補生)に服していました。
天皇の終戦の詔勅(録音)は自宅近くの郵便局の前に設置された台上のラジオで聴きました。録音が不明瞭で意味が分からなかったという話も聞きますが、私は、戦争がこれで終わったことを知り、もう兵隊にとられず、頭髪をかつての高校生のように自由に伸ばせるようになったのだと本当に嬉しかったことを覚えています。
周りの皆さんも万歳こそしませんでしたが、その日の夜から、それまで灯火管制の真っ暗な町中であったのが、あかあかと電気が一斉にともる「平和の夕べ」が到来したことを喜ぶ日常が戻ってきた感激を覚えています。
まさに「真っ黒な戦争」からの開放だったのです。
2  終戦を迎えた私の気持ちは、戦争からの解放、再び軍隊の復活はあってはならない、またあり得ないという思いでした。
天皇制軍隊生活の狂暴さからの解放は、この上もない救いの光であったことも誇張ではありません。本土作戦となれば、第一線の米軍上陸部隊に体当たり攻撃を行うことを軍事教練の時間に訓練させられていた私らにとっては、戦争の終結は、この上もない喜びでした。陸軍大臣東條英機の名で示された「戦陣訓」(1941(昭和16)年1月)の「生きて虜囚の辱めを受けず」の言葉を私の最後の決意にもしていた私にとっては、戦争の終結は、まさに「天与」の感そのものでした。
当時、ほとんどすべての日本人が、もはや地球上には戦争はあり得ない、あってはならない、日本には軍隊は存在し得ない、世界は完全に平和となるであろうと考え望んだと思います。
日本国憲法はその思いを込めて作られました。
3 しかし、あの戦争終結から72年、日本国憲法制定から70年、再び日本国は自衛隊という武力装置を備えた部隊を、「わが国の防衛」の名のもとに、外地に派遣しています。いつ、武力による衝突が起こり、戦闘が開始されるか分からない現状に陥っています。
あの戦争終結の喜びと平和憲法の誓いが、一瞬に粉砕される恐れ、それどころか原発を全土にもっている日本が壊滅的破壊にいたる事態が現実的に起こりうることも決して否定できません。
そのような日本と世界の現況の中で、私は、無謀な戦争を体験し、同時に親族、友人、知人を数多く失った市民の一人として、戦争の発生、暴発を日本国憲法の平和主義の名のもと、司法の力で止めるためにこの訴訟の原告として参加しました。
4 次に、憲法研究者の一人として、われわれの主張の根底となっている「平和的生存権」の憲法学的意義について述べたいと思います。
日本国憲法の最大の特色、いや世界に誇るべき条項は、憲法第9条と前文の「平和的生存権」だと思います。
憲法9条は戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めていますが、第1項 戦争の放棄は、既に「不戦条約」(1929)第1項において、国際的に承認されているものです。
それに対して、第2項の戦力の不保持、交戦権の否認は日本国憲法の最大の特徴を示す条項になっています。さらに、日本国憲法の平和主義を特徴付けるものとして、前文第2段後半の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と定められています。
いわゆる、この「平和的生存権」の規定は、「大西洋憲章(1941(昭和16)年8月14日)に由来するものです。「大西洋憲章」は、太平洋戦争開始前の8月に、イギリス首相チャーチルとアメリカ大統領ルーズベルトが、大西洋上の艦船(「プリンス・オブ・ウェールズ」)上での共同宣言に由来しています。そこでは、「ナチ暴政の最終的破壊の後、両者はすべての国民に対して、各自の国境内において安全に居住することを可能とし、かつすべての国のすべての人類が恐怖および欠乏から解放されて、その生命を全うすることを保障するような平和が確立されることを希望する。」と述べられています。
この共同宣言は、その後連合国諸国の承認を受け、第2次世界大戦の連合国の共同宣言となり、日本国憲法の前文にほとんどそのままの文言で受け継がれています。「大西洋憲章」の文言では、「・・・を希望する。」に止まっていますが、日本国憲法前文では、明確に「平和のうちに生存する権利を確認」しています。
また、日本国憲法前文では「確認」という用語を用いていますが、この用語は日本国憲法の英語文では「recognize」とされています。この英単語は「確認する」という意味で法律用語として厳密に用いる場合は、「非を認めて誓約する」ということになります。その意味からも、きわめて重い内容をもつ用語です。
5 この「平和的生存権」の法的性格について、学説的には憲法制定後のかなり早い時期に、「平和的生存権」の具体的権利性を強調する学説があり、注目されていました(星野安三郎「平和的生存権序論」=法学文献選集10法と平和 昭和48年)。さらに、裁判判決にも、平成20(2008)年4月17日名古屋高等裁判所が自衛隊のイラク派遣は憲法に違反している」と判示し、注目されました。
平和な生活が侵されるということだけでなく、自由権が侵された場合、さらには戦争の危害が生じるという可能性のある場合にも、「平和的生存権」を、具体的な権利、阻止する権利として認めました。この判決は上告せず同年5月2日に確定しています。
この判決は、具体的な国民の日常生活における戦争及びその準備行為を広く検討し、それらによる個人の自由の侵害、侵害の危機、現実的な戦争被害や生存権を認めています。私は多くの憲法研究者とともに、全面的な同意と賛意を表明したいと思います。
このような内容を持つ日本国憲法前文の「平和的生存権」は、その歴史的由来は連合国の「憲章で」あるとしても、いやそうであるからこそ、現在地球上の多くの地域において、日本国民は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」るための努力をなすべきです。かつての連合国であり、「大西洋憲章」をかかげて日・独・伊枢軸国に勝利した国々もまた、「憲章」の精神にたち帰るべきではないかと考えます。
私は多くの先輩・同僚の「戦争によって叩き折られた青春」の無念さを胸に抱き、この訴訟の原告となりました。
そして、同時にこの法廷が日本国憲法の平和と人権の保障の場、さらに「全世界の国民の恐怖と欠乏」からの解放という世界史的使命をもった法廷となることを衷心より切望して、私の陳述を終わります。

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