西南学院大学の伊藤慎二先生の論文「福岡市中央区薬院の戦争遺跡:陸軍振武寮とその周辺」がスゴイ!
かつて薬院にあった陸軍振武寮は、太平洋戦争末期の特攻作戦の中で、機体トラブル等で帰還した隊員を収容するための施設です。生還することのない「必死」の特攻作戦の中で、生存者が出ることは許されず、帰還隊員にも死亡宣告が出され、外部との連絡を一切絶たれた軟禁状態におかれました。「途中で命が惜しくなって帰って来たんだろう」と言われ、ひたすら軍人勅諭の書写と暗唱、殴打と罵倒が繰り返され、自殺者も出たとされています。
振武寮のことは、大学生の頃に観た映画「月光の夏」で初めて知りました。自分は死にもしない大人たちが、国のために命を投げ出す覚悟をした少年を、虐待する姿に、今も変わらないこの国のズルさを感じました。中国が攻めてくるなどと安保法の必要性を説く大人は絶対に自分は戦場に行きません。戦場に行かされるのは、安保法に対して良いも悪いも言うことができない今の中学生や小学生です。

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伊藤先生は論文の冒頭でこう述べています。
2015年9月17日に行われた安全保障関連法制に関する参議院特別委員会の速記録(未定稿)は、「発言する者多く、場内騒然、聴取不能」という一文で結ばれていた。しかし、10月11日に参議院のホームページ上で公表された同委員会会議録では、同法制について「可決すべきものと決定した」ことなどが、新たに書き加えられた。歴史が「修正」された瞬間である。そして、歴史が「修正」されることを前提に、自由民主党の安倍晋三総裁を首班とする内閣は、ほとんどの憲法学者が違憲性を指摘する安全保障関連法制を、すでに2015年9月19日には可決成立したと判断していた。これらの結果、今後少なくとも法施行から次期国政選挙後等に違憲法制の停止・廃止などの是正措置が行われない限り、日本国領域が直接軍事侵犯を受けていない時点で、なおかつ国外で、日本国が戦闘行動参加などの軍事力の行使が可能になった。1945年の日本帝国の敗戦以来、実に70年ぶりのことである。
当時、特攻作戦の編成と振武寮の管理を担当していた倉澤清忠参謀(少佐)の言葉
「途中で命が惜しくなってね、そういうのがいっぱい帰ってきている。そういう者たちも収容したのが振武寮です。結果的に隔離所になるわけです」
「みんな死ににいけということを、くり返し言い聞かせたのです」
(学徒動員特攻について)「あまり世間を知らないうちにやんないとダメなんですよ。法律とか政治を知っちゃって、いまの言葉でいえば、人の命は地球より重いなんてこと知っちゃうと死ぬのは怖くなる」
(少年飛行兵について)「12,3歳から軍隊に入ってきているからマインドコントロール、洗脳しやすいわけですよ。あまり教養、世間常識のないうちから外出を不許可にして、そのかわり小遣いをやって、うちに帰るのも不十分な態勢にして国のために死ねと言い続けていれば、自然とそういう人間になっちゃうんですよ」
(インタビュー当時(2003年)倉澤氏は86歳)