市民と弁護士が行っている憲法学習会「terra cafe kenpou」

今夜は、国策によって中国東北部(満州)に置き去りにされた女性や子どもたち。その中でも若い女性達が辿った道を描いたひとり芝居「帰ってきたおばあさん」の主演女優神田さち子さんを講師に「中国残留婦人-戦争は弱いもんが犠牲になるとです」をテーマにお話を伺いました。


昭和19年に撫順で生まれた。
長年この芝居をやり続ける理由。
・忘れえぬ女性たち
・中国で出会った養父母達
・中国の若い人たち
衝撃的な方々との出会い。
1996年、作家の吉永勢伊子さんに著書「忘れられた人びと」のモデルになった女性が来ているということで、東京のある福祉センターで開かれた会議に誘われ行ってみた。そこは、一時帰国した中国残留邦人を日本人が出迎えるという場だった。扉を開くと、明るい雰囲気ではなかった。そこにいたのは、これまで出会ったことのない風情をしている人たちだった。表情が顔に出ない。顔には深い筋がいくつも刻まれ、ひっつめの髪。質素な服装。60代の女性には見えず、当時80代の母よりも老けている様子だった。一人だけ口を開いた女性は、そこにいた男性を指差し「四番目の夫と」。彼女は広島の女学校を卒業し裕福で賢い女性だった。一番目の男性は病気で死んだ。結婚しないと金がない。結婚することで村から金がもらえる。そうやって中国で亡くなった両親の遺骨を広島に連れて帰るための費用にした。
その隣に座っていた女性が「帰ってきたおばあさん」のモデルになった方だった。彼女はほとんど口を開かない。会が終わり出て行こうとする彼女を追いかけて「私に何かできることがありますか」と聞くと、手を振りながら「日本にはもう何も言うことはありません。でも、中国には私たちのような者がたくさん残されています」と。そこには日本政府に対する諦めや屈辱などがないまぜになっていた。
私は満州の撫順で生まれた。ちゃんと引き揚げ船で生きて日本に帰って来れた。家にはボロボロのリュックと洗面器があった。これが幼い私が背負っていたリュックで、到底人間の食べ物とは言えないポーミー粉を入れて無心に食べていた洗面器。どこかで一歩違っていれば、母はモデルの春代さんのような運命を辿っていたかもしれない。私も生き延びられたか、生き延びても中国の人に引き取られ中国残留孤児になっていたか。
この人たちの悲劇は実は自分に起こっていたかもしれないことなんだと。舞台で演じなければと。
2002年、近所の医師から誘われ満州慰霊団の旅に参加した。
この旅は非常に衝撃的だった。この旅に参加していた男性が、僕は残留婦人の息子ですと。母の夫はソ連兵に抑留された。幼い弟がいた。母は子どもを連れて日本に戻ろうとした。しかし、若い女性が幼い子ども達を連れて帰国することは困難で、母は、道を引き返し、満州人の家に行き、頭を下げ、この子達にジャガイモ1個をくれませんかと頼んだ。その満州人の牛小屋に暮らすようになった。家畜のように扱われた。そのうち、母のお腹が大きくなった。お爺さんのような満州人をお父さんと呼ばなければならないようになった。3人の子どもが生まれた。その後、父が抑留から帰ってきた。父の元には行けず、父は新潟で再婚したが、再婚相手は亡くなった。これで、僕らは新潟に帰れると期待し、手続きに行くと、父が再婚したことが分かった。その時の母の落胆。母は、子どもにお金を貯めて新潟に帰って、いつかお母さんを迎えに来てと。その男性は努力をして新潟に帰り、母を新潟に連れて帰った。しかし、母は最後まで父と会うことができなかった。
長野県から参加した80代のお婆さんは、ハルピンから2時間ほど行った場所に着くと、ここが私たちが暮らしていた村だと。彼女はそのとたん、その大地にひざまづき、ごめんよ、ごめんよと額を大地に押し付けながら、長野から持参した水を大地に流した。2歳の娘が「おみじゅ、おみじゅ」と言いながら死んだ場所。90歳近くになるまでこの思いを心に抱えて生きてきた。
岡山からきた女性は「ごめんよ、姉ちゃん、やっと来れた」と5人きょうだいでただ一人生き残ったと。
日本人の公墓があった。この墓は日本政府が建てたものではない。孤児達が帰国後金を出し合って建てたもの。
参加者はこの墓を撫でながら「遅くなったね」「ごめんね」と涙を流した。
私はこの墓の前で自らの手で子どもを殺めなければならなかった女性を演じた。参加者も、案内してくれた中国人も涙を流しながら見てくれた。芝居が終わった後、参加者は泣きながら「ふるさと」「赤とんぼ」を歌い「もう一度、信濃富士を見せたかった」と。お墓に水をあげ続ける女性。
この人たちの思いを伝えなければ。
その後、中国で9回公演をした。
2004年、ハルピン龍江劇場で演じた時、ハルピン大学の学生達が食い入るように観てくれた。芝居が終わった後、大学生達が日本に行って勉強したいと。恐る恐る、大学生達におじいちゃん、おばあちゃんから日本のことをどういう風に聞いてると尋ねると、特に日本について悪くは思っていないと。
中国残留孤児の養父母達も芝居に来てくれた。この養父母達が芝居の最後の方でいなくなった。どこにいったか。舞台の前で俯いて泣き崩れていた。
北京外国語大学で演じた後、大学生のアンケートを見て驚いた。「日本にも被害者の方がいたんですね」と。日本の商社マンのアンケートは「こんな人達がいたことを始めて知りました」と。
安徽省の奥で暮らす残留婦人と会った。岐阜県出身。開拓団は彼女を除いて皆死んでしまった。中国の兵隊と結婚し子どもをもうけた。過去のことを尋ねると「もう忘れた」と。帰国後、彼女から長い手紙が来た。手紙には女学生だった彼女が開拓団の幼い子どもを連れて山に入りソ連兵にから逃げたと。子ども達が一人減り二人減り、地をはいつくばるようにしてようやくたどり着いた村で出会ったのは今の夫だと。
この人たちの思いを受けて192回公演を続けた。
2017年10月8日、澄和Futurist賞をいただいた。コツコツとやって来て本当に良かったと。この賞は、ご褒美ではなく、これからも伝え続けなさいと言われた気がした。次の世代にきちんと伝えなさいと。
193回目の公演である今回の早良市民センターもそういう思いで演じます。
故郷の朝倉が水害に見舞われた。故郷のためにも芝居をさせていただく。

来週(1/30)はルワンダで義足を作り続ける日本人女性について、日本で支援をしている吉田淳さんからお話を伺います。
お楽しみに。

テーマ One Love Project ルワンダで義足を作り続ける日本人女性・予告編
講師 吉田敦さん
日時 1月30日(火)19:00-21:00
場所 光円寺門徒会館(福岡市中央区天神3-15-12)
参加 無料
https://www.facebook.com/events/422857701463968/

【今後の予定】
terra cafe kenpouの今後の予定をおしらせします。
特に記載がない限り火曜日19時〜光円寺門徒会館(天神3丁目15-12)です。
予定は入れ替わるかもしれません。下記サイトでスケジュールをご確認ください。
なお急遽会場変更になることもございます。変更の場合は下記サイトでご案内します。
http://ohashilo.jp/blog/
1月30日「One Love Project ルワンダで義足を作り続ける日本人女性・予告編(講師吉田敦さん)」
2月6日 お休み
2月7日(水) 19:00 あいれふ研究室A「平和への思い-勤労女学生が見た戦争(講師福田光子さん・元純真大学教授)」「One Love Project ルワンダで義足を作り続ける日本人女性(ルダシングワ真美さん,ガテラ・ルダシングワさん・ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト)」(ワンラブ・プロジェクト支援者の会九州・山口,terra cafe kenpou,プラン博多)1000円
https://www.facebook.com/events/547338912269475/
2月13日「開かれた市議会に向けて(講師おばた久弥前福岡市議会議長,原豊典さん)」
2月20日 調整中
2月27日 「沈黙 立ち上がる慰安婦」上映会(KBCシネマ)1100円(当日1800円,シニア1100円,中高大学生1500円)
3月6日 お休み
3月13日 「温暖化対策-世界の流れに逆行するトランプ・安倍(講師後藤富和弁護士)」(予定)
3月20日 未定
3月23日(金)13:30 早良市民センター「帰ってきたおばあさん(出演神田さち子さん)」(神田さち子ひとり芝居福岡実行委員会)2500円(当日3000円,中高障がい者1500円)
https://www.facebook.com/events/2026510467581028/
3月23日(金)19:00 早良市民センター「帰ってきたおばあさん(出演神田さち子さん)」(神田さち子ひとり芝居福岡実行委員会)2500円(当日3000円,中高障がい者1500円)
https://www.facebook.com/events/2026510467581028/