「大飯原発差止め判決を下した樋口元裁判官講演会」
会場は満席で補助座席を出しても会場に入れない状態。福島第一原発事故から8年経っても多くの市民が原発の危険を感じているということです。特に福島から遠く離れた福岡でこれだけの人が集まるというのはスゴイ。でも、福岡市民にとっても原発は他人事ではありません。玄海原発は天神から52kmの近さです。

以下は樋口元裁判官講演の僕のメモ

「危険」を判断する時、それが、被害の大きさを言うのか、事故発生確率の高さを言うのか、分析することが大切。
震度6強、15メートルの津波。マグニチュード9(マグニチュード10はない)
M(マグニチュード、地震の大きさ)
G(ガル、地震の強さ)←震度は7までしかないので、地震の強さを見るときはガルが有用。
安全三原則
・止める
・冷やす
・閉じ込める
原発は、蒸気でタービンを回して発電する点では火力発電と同じ。

ただ、火力発電所の場合は事故で火が消えれば沸騰が止まる。しかし、原発の場合は、制御棒を入れても沸騰が続き、冷やし続けなければならない。冷やし続けるためには電源が必要だが、電源が喪失してしまうと、冷やすことができず、空焚き状態となる。これが福島第一原発事故。
発電していなかった4号機の奇跡
電源が喪失したら、使用済み核燃料の貯水プールは4〜5日で空になりメルトダウンを起こす。そうなると250km圏内(東京も含まれる)が避難しなくてはならなくなる。しかし、そうならなかった。なぜか。震災4日前に抜き取るはずだった原子炉ウェルの水がなぜか貯水プールに流れたから。
2号機の奇跡
ベントできず原子炉圧力容器内の圧力が高まり続けた。2号機が丈夫だったら大爆発を起こし、東日本は壊滅した。でも、そうならなかった。2号機は欠陥機だったため圧力容器に隙間ができ偶然ベントされたから。
ウランを一気に爆発させると核兵器。ウランを水と電気でコントロールしながらゆっくりと爆発させ続けるのが原発。核兵器は理性で制御できる。しかし、原発の場合はいくら理性を持って制御しようとも、水と電気が失われれば爆発する。理性を持ってしても制御できないのが原発。
被害が大きなものは事故発生確率を落とす。新幹線と電車の事故発生確率。事故発生確率と被害の大きさは反比例する。

2000年以後の主な地震
(5115ガル 三井ホームの耐震設計基準)
4022ガル 岩手宮城内陸地震(2008年、M7.2)
(3406ガル 住友林業の耐震設計基準)
2933ガル 東日本大震災(2011年、M9)
2515ガル 新潟県中越地震(2004年、M6.8)
1740ガル 熊本地震(2016年、M7.3)
1000ガル以上の地震17回、700ガル以上は20年間で30回
(405ガル(のちに700ガル) 大飯原発の耐震設計基準)
原発は、被害が大きく、事故発生確率も高い。そのようなものは原発以外ありえない。
これだけでも原発を止めなければならない理由として十分。
しかし、止まらない。
それは、強震動予測。電力会社側の学者は「大飯原発には405ガル以上の地震は来ない」と言うが、これを信用できるのか。信用できるわけがない。
震度6以上の地震の予測に一度も成功していない日本で、なぜ原発にだけ震度6以上の地震が来ないと予測できるのか。
地震学の三重苦
・観察不可
・実験不可
・資料なし
観察して実験して資料を集めるのが科学。観察も実験もできず資料もないのに震度6以上の地震は来ないと言う地震学など科学とは言えない。
震度5〜6程度で原発の設計基準を超えてしまう。これまで原発の設計基準を超える地震が5回あった。なのに、今後は起こらないとどうして言えるのか。
武村雅之さん(地震学者、名古屋大学教授)「強震動予測をストレートに耐震設計に結び付けているのは原発だけである」
一般の建物は過去に起こった地震を基準にそれを乗り越える設計にしている。震源が特定されるわけでもなく、予測していない震源から思わぬ地震が来るかもしれないから。だから、一般の建物では強震動予測は使っていない。強震動予測は未だ不確実であり現時点で使えるようなものではない。
素直に考えれば、強震動予測など用いるべきじゃない。
ところが、地震学者は強震動予測の精度をあげようと言う。
強震動予測は科学とは言えない。少なくとも、原発に持ちうべき科学ではない。
4つのプレートに乗っかっているのが日本。それが科学的事実。
アイザック・ニュートン「私は浜辺で遊んでいる子どものようなもの。時々普通よりもなめらかな小石やきれいな貝殻を見つけて夢中になっているl真理の大海はすべて未知のまま目に前に広がっているというのに」

他の裁判官はなぜこんな簡単なことが分からないのか。
1992年の伊方最高裁判決を基準にしている。
1 原発訴訟は高度の専門技術訴訟であり
2 裁判所は原発に安全性を直接判断するものではなく規制基準に合理性を判断すればよく
3 その判断は最新の科学技術による
この最高裁判決から27年も経っているし、その間に福島第一原発事故を経験しているのに、なでこの基準を使い続けるのか。
原発訴訟は本当に高度な専門技術訴訟なのか。難しい話ではなく原発の危険性は簡単に分かることではないか
裁判官は規制基準の辻褄が合っているかだけを判断する。判断すべきは国民の安全を図る内容になっているかどうかではないか。
最近の科学的知見では原発の耐震設計基準を超える地震が起こることはわかっている。しかし裁判官は実際に起こっている事実ではなく、強震動予測を最新の科学と思い込んでいる。事実を重視するのが科学ではないか。
裁判官が正当な判断ができない理由
1 極端な権威主義
2 頑迷な先例主義
3 1,2から来るリアリティの欠如
4 科学者妄信主義
こんな相手の土俵で闘って勝てるわけない。
こちらの土俵で闘うこと。こちらの土俵は事実と良識。
原発の安全性=基準地震動への信頼
1 基準地震動を超える地震は来ない
2 基準地震動以下の地震では壊れない、故障しない。
これのどちらかを崩せば原発の安全性は崩せる。
原発の危険性は、危ないかもというレベルではなく、パーフェクトに危険。間違いなく危険。
ネルソン・マンデラ「裁判とは心の強さが試される闘いであり、道義を守る力と道義に背く力とのぶつかり合いなのだ」
道義は当然、脱原発派にある。論理も圧倒的。必ず勝てる。
日本社会がこれほど劣化していることに驚いている。
総理大臣が止めようと思えば原発は止まる。地元の県知事が止めようと思えば止まる。裁判所が止めようと思えば止まる。
なのに誰も責任を取ろうとしない。本気で何が大事かを考えれば、
私は自分の責任をまっとうできた幸せな裁判官だと思う。でも、これでは責任を果たしたわけじゃない。原発の危険性を知ってしまった以上、それを伝えていく責任がある。
皆さんも若い人たちに正確な情報を教えてください。危険と負担をまともに負うのは若い人たちなんだから。