朝鮮高校無償化差別裁判の控訴審口頭弁論。
弁護団長として意見を述べました。

次回は2月14日(金)13:30(傍聴券配布12:00-12:30)@福岡高裁

この訴訟の意義について意見を述べます。
1 チマチョゴリ切り裂き事件
2002年、日本人拉致事件が明らかになった後、福岡を含む全国各地で朝鮮学校に通う子ども達に対する嫌がらせ、特に女子生徒のチマチョゴリ制服が切り裂かれる事件が頻発しました。
子どもたちに対する差別、暴力を許してはならないとの思いから、司法修習を終えたばかりの55期の弁護士で「在日コリアンの子ども達に対する嫌がらせを許さない若手弁護士の会」を結成し朝鮮学校を訪問し聴き取り調査を行いました。
困っている子ども達を助けなければと勢い込んで朝鮮学校に行くと、そこには差別に負けない明るい笑顔の子ども達がいました。学校を出れば有形無形の差別と暴力に晒される子ども達にとって朝鮮学校は安心して心を開ける場所でした。ここでは先生が子ども達を温かく包み、上級生が下級生の面倒をみて、保護者やこの学校に触れた日本の人々が学校を支えています。この学校は愛に溢れていました。
そこから朝鮮学校との交流が始まりました。社会科見学で、朝鮮学校の子ども達を裁判所に案内し裁判傍聴もしました。裁判官から声をかけられた子ども達は、裁判所には差別がない、正義の場所だと感じ、法曹を目指す生徒も出てきました。
2  日本の学校との違い
私が小学校PTAの委員をしていた時、PTAで朝鮮学校の授業参観に行きました。参加した日本の学校の保護者達は良い意味で驚いていました。参加者は、朝鮮学校を訪問するまでは、朝鮮学校では戦前の日本のような軍隊式の教育がされていると思っていました。しかし、実際に朝鮮学校の授業参観に行くと、朝鮮語が使われていること以外に授業の内容に日本の学校との差はなく、逆に、日本の公立学校よりも生徒一人一人の個性を伸ばす教育がなされており、子ども達が活発に意見を発表し、自由に表現しており、のびのびとした子ども達の姿に驚きました。保護者から朝鮮学校に子どもを通わせたいという意見も出るほどでした。
私達は日本の学校で育ちました。ですから、朝鮮学校は自由だと聞いても、私達が育ってきた学校の範疇でしかそれを想像することができません。しかし、朝鮮学校を包み込む暖かさと自由な空気は私達がこれまで日本の学校で経験したものをはるかに超えるほど大きなものです。それは実際に朝鮮学校に行くことで感じることができます。
3 日本の中学校教科書
 この社会科の教科書は福岡市内の公立中学校で使用され、全国のおよそ6割の中学校で採用されているものです。
 この教科書の51ページには当時、福岡朝鮮小中級学校に通っていた朱星一さんの作文が全文掲載されています。「民族や文化が違っても日本に生まれた人間同士。もっと仲よくならないといけないのに、なぜ僕達在日コリアンはいまだ偏見の中で暮らしていかなくてはならないのでしょうか?」「この日本が誰にとっても住み良い国になるように、住んでいる僕達が力を合わせていこうではありませんか」
 この教科書は、この作文を読んで「共生社会を実現するうえで『正しさ』とは何かを話し合いましょう」と投げかけています。
 47ページには「在日韓国・朝鮮人への差別の撤廃」の項が設けられ「日本では、今なおこれらの人たちに対する就職や結婚などでの差別がなくなっていません。日本で生活していることやその歴史的事情に配慮して、人権保障を推進していくことが求められています」とあります。その上で「差別解消のための取り組みや、残されている課題について説明しましょう」と問いかけています。
 中学校で社会科を学んだ日本の子ども達に、高校無償化から朝鮮学校だけが除外されていることをどう説明すれば良いのでしょうか。
4 自らの力で権利を勝ち取ってきた在日コリアン
本文に添えられた写真「全国高校ラグビー大会の準決勝に進出した大阪朝鮮高級学校」には「全国高校ラグビー大会は、1994年から外国人学校も参加できるようになりました」と説明文が付けてあります。
しかし、朝鮮学校が自動的に高校ラグビー大会に出場できるようになったわけではありません。朝鮮学校に通う子ども達、教師、保護者、朝鮮学校を支える日本の人々が、時に罵声を浴びせられながらも、街頭で署名活動を続け勝ち取った権利です。朝鮮学校が出場しない大会で日本一になってもそれは真の日本一じゃないという日本の高校のラグビー部員達も協力しました。
朝鮮学校の生徒にJRの学割定期券が認められたのも1994年でした。朝鮮学校卒業生に国立大学の受験資格が認められたのは2003年でした。これらも朝鮮学校に通う子ども達、教師、保護者、そして朝鮮学校を支える人々が勝ち取った「当たり前の」権利です。
高校無償化から朝鮮学校だけが除外されたことについて在日コリアンの人々は驚きというよりも「またか」という気持ちで受け止めています。でも、彼らはこれまでの闘いと同じように、自分達の力でこの差別と闘い必ずや是正させるでしょう。ですから、この闘いで控訴人である在日コリアンが負けることはありません。それは「当たり前の」権利を当たり前に要求している正しい闘いだからです。彼らにこそ正義があるからです。
でも、その「当たり前の」権利を獲得するのに、朝鮮学校の子ども達は暑い時も寒い時も雪が降る中も駅前に立ち、自分の顔を晒しながら日本の大人達に無償化差別問題を訴え続けています。中には心ない罵声を浴びせる日本人もいます。それでも朝鮮学校の子ども達は要求実現まで闘い続けます。
だから、彼らが負けるわけはありません。彼らの要求は必ず実現します。
5 司法の役割
その中で、この訴訟が果たす役割は何でしょうか。
国連子どもの権利委員会は、日本政府に対し、朝鮮学校の無償化除外について何度も厳しい勧告を出しています。今年も「ほかの外国人学校と同じように扱われるべきだ」として日本政府に見直しを勧告しました。日本は先進国とはいえないほど低レベルの勧告を受け続けています。
理性ある者誰もが朝鮮学校だけを差別する日本政府のやり方がおかしいと思っています。にもかかわらず、日本政府だけは、朝鮮学校が「反社会的な団体」とつながっているから無償化制度を適用できないなど取ってつけた非合理的な理由で差別を正当化しようとしています。最近ニュースを賑わしている桜を見る会の問題で日本政府は「反社会的な勢力を定義することは困難である」と閣議決定し追求をかわそうとしています。日本政府は、朝鮮学校を差別するためには反社会勢力という言葉を用い、逆に政府が追求される立場になった場合には反社会勢力の定義は定まっていないと言い逃れをするのです。自らの主張を通すために、国家権力がこれほどまでに支離滅裂な態度を取るのか。私は恥ずかしくて仕方ありません。
この闘い、在日コリアンの皆様が勝つのは決まっています。
そのような中、この裁判で試されているのは、在日コリアンの方々の主張の正しさや要求実現に向けた努力ではありません。彼らの主張が正しいこと、要求実現に向けて十分すぎる努力をしていることを私達は知っています。まさに「不断の努力」(憲法12条)です。
この裁判で問われているのは私達日本人とりわけ日本の司法の健全性です。在日コリアンの方々が示した不断の努力に対して司法が彼らと同じように悩み、もがき、努力しているかと。
6 まとめ
高校無償化適用はいずれ必ず実現します。
その時、歴史を振り返り、司法が人権保障の役割を果たしたと評価されるのでしょうか、それとも役割を放棄したと評価されるのでしょうか。
私は、司法の一翼を担うものとして福岡の裁判所には人権保障の砦としての役割を果たし未来に向かって名誉ある地位を占めていただきたいと願っています。
そのためにも、ぜひ関係者の証言に耳を傾け、朝鮮学校に足を運んでいただき,あの自由で温かな空気に触れていただきたいと思っています。