令和2年(ネ)第342号

「よみがえれ!有明海」諫早湾内(第2・3陣)漁業再生請求控訴事件

控訴人 室田和昭 外

被控訴人 国

準備書面57

2022(令和4)年1月11日

福岡高等裁判所 第1民事部 御中

控訴人ら訴訟代理人 弁護士 馬奈木昭雄

第1 本書面の意義

 1 公共性の位置づけ

控訴人らが求める本件開門操作は,諫早湾の漁場環境を改善するために,本件事業によって建設された本件潮受堤防の本件各排水門の開閉に関し,本件潮受堤防により締め切られた本件調整池に海水を流入させ,海水交換できるように開門操作することである。

これに対して,本件事業が公共事業であることから,被控訴人国は,従前から,その可否を判断するためには,大阪国際空港事件の最高裁判決を前提に「国の行う公共事業が第三者に対する関係において違法な権利侵害となるかどうかを判断するに当たっては,侵害行為の態様と侵害の程度,被侵害利益の性質と内容,侵害行為の持つ公共性ないしは公益上の必要性の内容と程度などを比較検討するほか,被害の防止に関して採りうる措置の有無及びその内容,効果等の事情をも考慮し,これらを総合的に考察して決する」との判断基準を主張し,そのうえで,本件開門操作によって本件潮受堤防の果たす防災機能が失われ,本件事業の営農効果に被害を及ぼし,漁業や生態系にも悪影響が生じると主張してきた。

しかし,仮に,被控訴人国が主張する判断基準を前提にしたとしても,本件開門操作によって防災機能や営農効果が失われることはなく,漁業や生態系への悪影響も生じない。むしろ,本件開門操作によって干拓地周辺にとどまらず,広く長崎県全体に大きな効果を与えることができるものである。

この点に関し,控訴人らは2013年(平成25年)5月7日付準備書面8において,開門によって本件事業の効果が失われないことについて概説するとともにし,本件開門操作することによって得られる効果すなわち本件開門操作のもつ公共性ないし公益上の必要性とその程度について明らかにした。

 2 本件事業の公共性に関する最新の知見

その後,2020年(令和2年)4月,国内外の公害・環境問題の解決に取り組む「日本環境会議」の研究者らによって「諫早湾干拓問題検証委員会」が設置され,専門家による第三者的視点で調査研究が行われた結果,2021年(令和3年)8月,諫早湾干拓問題に関する最新の知見が報告書の形で発表された(甲C276号証)。

http://www.einap.org/jec/article/projects/44/97

それによれば,本件開門操作のもつ公共性等がより一層明らかになっている。

そこで,本書面では,準備書面8に加えて,上記最新の知見を踏まえ,本件開門操作のもつ公共性ないし公益上の必要性とその程度について主張を補充するものである。

3 本件開門操作のもつ公共性

  本件事業については,事業の計画段階から問題点が指摘され,中止や見直し が求められていた。

  それにもかかわらず,被控訴人国は,それらの声に一切耳を傾けず,2010年(平成18年)12月に確定した福岡高裁開門判決をも無視し未だに開門を実施しようとしない。

その結果,漁民のみならず干拓地の営農者をも苦しめ,市民を分断し,地域経済が疲弊しきっているのが今の諫早市や有明海沿岸地域の実情である。

準備書面8で指摘したように,被控訴人国が市民の声に耳を傾け,事業を中止あるいは見直していれば,本件事業は多くの市民に受け入れられるものとなり,農業にとっても,漁業にとっても,地域経済にとってもプラスに働いていたはずである。

諫早と異なり,市民の声に真摯に耳を傾け「干潟の保全・再生を通じて地域経済も好転した」韓国の順天市(甲C276号証109頁)の例を参考に,本件開門操作を実現することで導かれる真の公共性について明らかにする。

https://ohashilo.jp/%e4%b8%80%e8%88%ac/%e9%9f%93%e5%9b%bd%e9%a0%86%e5%a4%a9%e6%b9%be%e3%81%ae%e7%b5%8c%e9%a8%93%e3%81%a8%e8%ab%ab%e6%97%a9%e6%b9%be%e5%b9%b2%e6%8b%93%e5%95%8f%e9%a1%8c/

第2 順天市の取り組み(甲C145ないし155号証)

 1 順天市の概要

順天市は,釜山から鉄道でおよそ2時間半の距離にあり,2000年頃までは,これといった産業がない農業と漁業を中心とした地方都市であった。

順天市には,諫早干拓潮受堤防の内側の干潟とほぼ同じ面積である順天湾干潟が広がっている。そこは,ナベヅル,コウノトリ,クロツラヘラサギなど約220種の鳥類が飛来し,ムツゴロウなど有明海や順天湾などごく一部の干潟でしかみられない魚介類が多数生息する生物多様性の宝庫である。順天市及び順天湾の詳しい概要については準備書面8で主張したとおりである。

 2 開発から保全へ

順天湾においても,諫早湾と同様,長年にわたって干拓が行われ,1990年代には,大型公共事業が持ち上がり,順天湾の開発に賛成する市民や工事業者と,反対する市民やNGOとの激しい対立がはじまった。

諫早湾が潮受堤防で締め切られた1997年,順天市では,順天湾を保全するか開発するかについて公開討論会を開催している。討論会を繰り返す中で,市民や市関係者らが海外の先進事例を視察し学んだ結果,これまで開発推進派だった市民の中にも順天湾保全の機運が高まっていった。

2003年,市民,NGO,順天市が参加した順天湾協議会が始まり,その中で,順天湾保全の方針が決まった。それ以降,順天市は,市域を市街地,生態縁辺部,推移地域,緩衝地域,環境保全地域などに区分けし干潟の生態を保全した。例えば,干拓によって農耕地になった部分を湿地に復元する事業を行ったり,渡り鳥の保護のために電柱を撤去する事業も行ったり,有機農業を徹底したり。水質保全のために順天湾に面した郷土料理店に立ち退いてもらったりした。

 3 干潟保全がもたらした様々な効果

当初,市民らの反発もあったが,これら干潟保全の徹底した取り組みの結果,順天湾には多くの観光客が訪れ,移転した飲食店にも従来以上の観光客が押し寄せるなど市民に大きな利益をもたらす結果となっている。

順天湾保全の取り組みは,韓国国内だけでなく国際的にも高く評価され,2006年に,国際的に重要な湿地であるとしてラムサール条約に登録された。

2008年,世界NGO湿地会議が順天市で開催された。また,同年開催されたラムサール条約第10回締約国会議では,順天湾が公式エクスカーションの場に選ばれ,各国の政府代表者やNGOが順天湾を訪れた。ちなみに,これらの国際会議において,いまだに無意味な環境破壊を行っているとして国際社会から名指しで批判されたのが「ISAHAYA」である。

さらに,同年,順天市は,韓国環境府が主催する第1回水環境大賞を受賞した。ちなみに,この時,海外における優れた水環境保全の取り組みとしてガイヤ賞を与えられたのは,原告弁護団である「よみがえれ!有明弁護団」である。

2010年には,順天市は,国連「住みやすい都市」銀賞に選ばれている。

そして,2013年には,順天湾周辺を会場に「国際庭園博覧会」が開催され,6ヶ月の開催期間中に430万人の観光客が訪れた。東京や大阪,福岡からもツアーが組まれ,多くの日本人も順天市を訪れている。

順天湾は,2018年に国連ユネスコエコパークに指定され,2021年7月にはユネスコ世界自然遺産に登録された(甲C277号証)。

https://japanese.joins.com/JArticle/281196?sectcode=400&servcode=400

なお,2023年には,ポストコロナ時代に緑を通じて希望のメッセージを発信しようと順天市で国際庭園博覧会の開催が予定されている(甲C278号証)。

https://jp.yna.co.kr/view/AJP20201022001600882

順天湾を訪れる観光客の数は,2002年には年間10万人程度であったが,現在では50倍の年間500万人に膨らみ(甲C276号証109頁),2023年に開催予定の国際庭園博覧会には800万人の来場が見込まれ,2兆3082億ウォン(2139億円)の経済効果と2万5149人の雇用の創出が見込まれている(甲C278号証)。

第3 真の公共性の実現~諫早と順天,二つの都市の歩み~

 1 順天市と違う道を選んだ諫早

順天市において干潟の開発と保全について公開討論会で議論されている同じ頃,諫早では,市民の反対を押し切り潮受堤防が締め切られた。それから四半世紀,諫早市と順天市とは全く違った道を歩んだ。

特にこれといった産業のない地方都市であった順天市は,今や国際会議や博覧会が開かれ,年間数百万人が干潟を訪れる韓国有数の環境観光都市に成長した。

これに対し,諫早市は,「企業誘致や公共事業といった外来型開発」に頼り「地域の資源や産業,人材などをベースとして,地域が自律的に経済や文化の振興をはかる内発的発展」とはなっておらず「地域資源である干潟や干拓地は,地域で十分に活かされていないばかりか,諫干事業によって大規模に自然は改変され,貴重な自然資源が損なわれた」(甲C276号証108頁)。そのため,「優れた自然環境や農漁村との共生・共栄を計画的に図ることに成功しておらず」(同105頁),「環有明海で」多く見られる「有明海の特産物を使った飲食店」が「諫早ではほとんど見受けられ」ず「豊かな有明海の特産物を活用することが少なく,有明海との接点は,経済的にも希薄になっている」(同109頁)。潮受堤防締め切り以降,漁業者の自殺が社会問題となる程漁業は衰退し,さらには諫早干拓で生まれた農地をはるかに上回る耕作放棄地が生まれ,市街地はいわゆるシャッター街の様相を呈している。

 2 諫早湾の夢

順天市でできたことが諫早でできない理由はない。諫早市においては「今後,自律的な地域経済を育むうえでは,地域固有の自然や人,歴史,文化などを活かす内発的発展をいかに創出できるかが鍵となる。換言すれば,地域の個性に立脚した地域の将来像をデザインできるかが問われている」(甲C276号証108頁)。

諫早湾の締切によって破壊された環境を再生させるという壮大なプロジェクトは,自然再生のモデルケースとして世界中から注目されるはずであり,成功の暁には,順天市のように,世界中から政府関係者や研究者,NGOが訪問し,諫早市の成功に学ぶであろう。諫早湾がラムサール条約に登録されるのも決して夢ではない。

そのためには第1に「地域の無関心層に対して,干潟や干拓への興味・関心を喚起し,理解を深めてもらうこと」,第2に「ボトムアップでの地域の将来像を描くこと」,第3に「干潟の保全・再生が地域経済にとってもプラスであるという認識を持つこと」が必要である(甲C276号証108〜109頁)。「干潟の保全・再生を通じて地域経済も好転した」順天市の取り組みに学び「豊かな自然環境を活かしたまちづくり」を「地域経済の振興」につなげることが重要である(同109頁)。

また,一度破壊した自然環境を再生する取り組みは絶好の環境教育の場ともなり,諫早市には全国各地から修学旅行の学生達が訪れるであろう。「有明海自然史博物館」の設立を構想している写真家富永健司も長崎新聞紙上で「干拓資料館じゃなくて干潟資料館でもつくったら,これは九州一円とか高校の修学旅行なんか来ますよ」と語っている(甲C276号証141頁)。一橋大学大学院の川尻剛士は「『公共事業』とは名ばかりの諫早湾干拓事業が犯した罪はきわめて思い」とし,「環境破壊を経験した地域を再生していくには,それを担いうる『人づくり』に関する検討がもっとも基本的な課題である」と指摘する。そのうえで「諫早の行方を指し示すうえで立ち返るべき1つの里程標として」富永が撮影した潮受堤防締め切り前の諫早湾の写真に注目し「『和解協議に関する考え方』(福岡高裁,2021年4月28日。甲C279号証)が提示されたいまこそ,富永の写真をとおして,これからの諫早のあり方をみなで語り合わなければなるまい」とする(甲C276号証140頁)。

さらに,有明海の再生を成功させたとして諫早干拓地での農産物は兵庫県豊岡市の「コウノトリ育むお米」のようにブランド化し高い価格で取引されるであろう。

 3 被控訴人国に求められていること 

被控訴人国は,本件開門操作を悲劇と捉えるのではなく,前向きに受け入れ,環境と地域の再生という目的を明確に持ってNGOや市民らとともに協力して取り組むべきである。この点,一橋大学大学院の渡邉綾は「2021年4月28日,福岡高裁は進行協議において,『判決だけでは,それがどのような結論になろうとも,(中略)紛争の統一的,総合的かつ抜本的解決には寄与することができない』(福岡高等裁判所第2民事部 2021年4月28日。甲C279号証)として,国と開門を求める漁業者に対し和解に向けた話し合いを提案した。この福岡高裁による『和解協議に関する考え方』では,『この問題に関する社会的要請等のほか,当事者や関係者からの話し合い解決への期待などを含め,現在,和解解決の前提となる素地も,これまでの経緯の中で最も高まった状況にあると考える』と記載されており,漁業者・農業者・周辺住民など,さまざまな立場や利害関係者を交えた話し合いが強く求められている」と指摘し「裁判によって,被害の実態や責任の所在を明らかにすることと同時に,住民が主体的に話し合いに参加し,生活者の目線から今後の有明海・諫早湾周辺地域のビジョンをつくることが求められている」とする(甲C276号証129〜131頁)。

その一方で,「事業の決定過程で市民や漁業者,農業者などの関係者に対して,農林水産省から情報共有が十分されず,説明責任を果たさなかったこと」を指摘し,「将来の地域ビジョンを積極的に提案」する「話し合いの場の創出が困難な大きな理由の1つとして」これまでの「行政の対応」を挙げている。「(話し合いの場の設置を求める)要望に行政は十分に応えてない。(長崎)県からは話し合う前に,『もう開門しない』という方針が固まっているために,話し合う意味がないという回答があったという。住民から話し合いの場を求める要望が高まっているにもかかわらず,地域住民が合意形成する土台づくりを行政が拒否している。こうした態度について,行政の責任が果たされているか検討が必要である」としている(甲C276号証135〜136頁)。

被控訴人国が本件事業を通じて行ってきたことは,住民の不安を煽り,農業者に耐え難い苦労を追わせ続けるものであって,本件事業によって予定された効果が生まれているとは到底言い難い状況にある。そればかりか,市民の間に分断と対立を生み,漁業者を疲弊させ自殺にまで追い込むものであり,名ばかりの「公共事業」である。

本件開門操作によって海水交換できれば,本件調整池の水質が改善し,干潟が再生する。これによって農業と防災効果を失わせることなく,漁業が再生し,地域経済の活性化,そして諫早市や長崎県全体の利益にもつながる。

そのためにも,被控訴人国には,今こそ「話し合いの場を創出し」「話し合いによって住民間の合意形成を進める」ための主体的な役割を果たすことが求められている(甲C276号証136頁)。

国がその役割を果たし,諫早において順天湾のような干潟を活かした地域の将来像をデザインすることが,市民の分断の解消と,疲弊しきった地域経済の活性化に繋がり,農業漁業共存・発展する真の意味での「公共事業」の実現である。

以上