2012年、長崎県議会で参考人として韓国順天湾の経験と諫早湾干拓問題について証言をしました。

要旨を掲載します。

1 開門がもつ公共性

  開門を行っても本件事業の効果は何ら失われない。むしろ、開門した方が大きな効果を生み出すものである。

  すなわち、高潮が予測されるときに排水門を閉じればいいだけで防災効果は失われない。また、現状において破綻したと言ってもおかしくない諫早干拓地での営農は、開門することで、真の意味での環境保全型農業として漁業とともに両立発展し、地域経済の振興も図れるはずである。

  準備書面8では、干潟保全を選択した韓国の順天市の例を参考に、早期に開門を実現することでもたらされる真の公共性について明らかにする。

2 順天市の取り組み

  順天市は、釜山から鉄道でおよそ2時間半の距離にあり、2000年頃までは、これといった産業がない農業と漁業を中心とした地方都市であった。順天市には、諫早干拓潮受堤防の内側の干潟とほぼ同じ面積である順天湾干潟が広がっている。そこは、ナベヅル、コウノトリ、クロツラヘラサギなど約220種の鳥類が飛来し、ムツゴロウなど有明海や順天湾などごく一部の干潟でしかみられない魚介類が多数生息する生物多様性の宝庫である。

  順天湾においても、諫早湾と同様、長年にわたって干拓が行われ、1990年代には、大型公共事業が持ち上がり、順天湾の開発に賛成する市民や工事業者と、反対する市民やNGOとの激しい対立がはじまった。

  諫早湾が潮受堤防で締め切られた1997年、順天市では、順天湾を保全するか開発するかについて公開討論会を開催している。討論会を繰り返す中で、市民や市関係者らが海外の先進事例を視察し学んだ結果、これまで開発推進派だった市民の中にも順天湾保全の機運が高まっていった。

  2003年、順天湾協議会が始まり、その中で、順天湾保全の方針が決まった。それ以降、順天市は、市域を市街地、生態縁辺部、推移地域、緩衝地域、環境保全地域などに区分けし干潟の生態を保全した。例えば、干拓によって農耕地になった部分を湿地に復元する事業を行ったり、渡り鳥の保護のために電柱を撤去する事業も行ったり、有機農業を徹底したり。水質保全のために順天湾に面した郷土料理店に立ち退いてもらったりした。当初、市民らの反発もあったが、これら干潟保全の徹底した取り組みの結果、順天湾には多くの観光客が訪れ、移転した飲食店にも従来以上の観光客が押し寄せるなど市民に大きな利益をもたらす結果となっている。

  順天湾保全の取り組みは、韓国国内だけでなく国際的にも高く評価され、2006年に、国際的に重要な湿地であるとしてラムサール条約に登録された。

  2008年、世界NGO湿地会議が順天市で開催された。また、同年開催されたラムサール条約第10回締約国会議では、順天湾が公式エクスカーションの場に選ばれ、各国の政府代表者やNGOが順天湾を訪れた。ちなみに、これらの国際会議において、いまだに無意味な環境破壊を行っているとして国際社会から名指しで批判されたのが「ISAHAYA」である。

  さらに、同年、順天市は、韓国環境府が主催する第1回水環境大賞を受賞した。ちなみに、この時、海外における優れた水環境保全の取り組みとしてガイヤ賞を与えられたのは、原告弁護団である「よみがえれ!有明弁護団」である。

  2010年には、順天市は、国連「住みやすい都市」銀賞に選ばれている。

  そして、今年、順天湾周辺を会場に「国際庭園博覧会」が開催され、内外から多くの観光客が順天市を訪れている。東京や大阪、福岡からもツアーが組まれており、多くの日本人も順天市を訪れている。

  順天湾を訪れる観光客の数は、2002年には年間10万人程度であったが、2010年には30倍の年間300万人に膨らみ、今年は500万人もしくはそれをはるかに超える観光客が干潟を訪れるのではないかと言われている。

  経済的には、順天湾の保全のために順天市がかけた費用の10倍以上の効果を生み出している。

3 真の公共性の実現~諫早と順天、二つの都市の歩み~

  順天市において、干潟の開発か保全かの公開討論会で議論されている頃、諫早では、市民の反対を押し切り潮受堤防が締め切られた。それから、16年、諫早市と順天湾とは全く違った道を歩んだ。

  特に産業のない地方都市であった順天市は、今や国際会議や博覧会が開かれ、年間300万人以上が干潟を訪れる韓国有数の環境観光都市に成長した。

  これに対し、諫早市は、潮受堤防締め切り以降、漁業者の自殺が社会問題となる程、漁業は衰退し、さらには諫早干拓で生まれた農地をはるかに上回る耕作放棄地が生まれ、市街地はいわゆるシャッター街の様相を呈している。

  順天市でできたことが諫早でできない理由はない。

  諫早湾の締切によって破壊された環境を再生させるという壮大なプロジェクトは、自然再生のモデルケースとして世界中から注目されるはずであり、成功の暁には、世界中から政府関係者や研究者、NGOが訪問し、諫早市の成功に学ぶであろう。諫早湾がラムサール条約に登録されるのも夢ではない。

  また、一度破壊した自然環境を再生する取り組みは絶好の環境教育の場ともなり、諫早市には全国各地から修学旅行の学生達が訪れるであろう。

  さらに、有明海の再生を成功させたとして諫早干拓地での農産物はブランド化し高い価格で取引されるであろう。

  開門を悲劇と捉えるのではなく、前向きに受け入れ、環境と地域の再生という目的を明確に持ってNGOや市民らとともに協力して取り組むべきである。これこそが、真の意味での「公共事業」である。