1997年、全長7kmの潮受堤防によって諫早湾奥部は有明海から切り離された。それと前後して、有明海の環境は激変し、特産であったタイラギ(平貝)は獲れなくなり、2001年には有明海全域でノリの大凶作に見舞われるなど、かつての宝の海は死の海に変わり果ててしまった。
有明海漁業者や全国の市民が求めた潮受堤防の開放を求める訴訟は、2010年12月、福岡高裁が国に対して3年以内に5年間水門を開放するよう命じ、当時の菅直人政権が判決を受け入れたことによって確定した。
この時、私たちは国営諫早湾干拓事業をめぐる諍いに終止符が打たれることを期待した。
しかし、その後、安倍政権は、確定した福岡高裁判決を無視して、判決の履行期限を過ぎても開門に着手すらせず、裁判所から制裁金を課されても、頑なに判決を履行しようとしなかった。そればかりか福岡高裁判決を骨抜きにするような新たな裁判を起こした。
今回、国は、福岡高裁確定判決に対する請求異議訴訟において、漁業権は10年で消滅するとの理屈で、原告である漁業者には国に対して確定判決の履行を求める権利は消滅したと主張した。
2019年9月13日、この請求異議訴訟に対する最高裁判所の判決が言い渡された。
最高裁判決は、漁業権は10年で消滅することを前提に国の請求異議を認めた福岡高裁判決を破棄し事件を福岡高裁に差し戻した。
これによって,今後、審理は福岡高裁に係属されることになった。
ここであらためて確認しておくべきことは、差戻審における判決がいかなるものになろうとも,福岡高裁の開門確定判決そのものを否定することはできないということである。
問われているのは司法判断を無視して三権分立をないがしろにする安倍政権の姿勢である。
これまで国が確定判決を守らなかった前例はない。確定判決を守らないことは許されないという法治国家として当たり前の事実を国に分からせることこそ本来の司法の役割である。判決を守らない国の行為を追認するのならば、それは司法の自殺でしかない。
最高裁は、2015年1月22日決定において「本件各排水門の開放に関し、本件確定判決と別件仮処分決定とによって抗告人が実質的に相反する実体的な義務を負い、それぞれの義務について強制執行の申立てがされるという事態は民事訴訟の構造等から制度上あり得るとしても、そのような事態を解消し、全体的に紛争を解決するための十分な努力が期待されるところである」との付言を述べた。長年に渡る諫早湾干拓をめぐる諍いを話し合いによって解決する必要性は高まっている。
今や、諫早湾干拓農地に営農している農業者ですら、このままでは農業ができないとして潮受堤防の開放を求めて提訴するに至っている。
有明海で長年漁業に従事する平方宣清は最高裁弁論でこう呼びかけた。
「私たちは、潮受堤防を壊せと言っているわけでも、干拓農地を壊せと言っているわけでもありません。きちんと対策を取って開門し、農業と漁業が両立する環境を取り戻すことを望んでいるのです。それができれば、有明地域も再生します。子供や孫たちが地域に戻って来てくれます。私の夢は、子、孫三世代同居です。息子と一緒に漁をして海の恵みに感謝しながら大漁の喜びを味わい、孫には海の生き物の生態や自然の素晴らしさを体感させてやりたいのです。その夢が実現するまで、私は決してあきらめません。お金で夢を売るわけにはいきません」
平方が語るように、問題の本質は、農業と漁業の対立ではない。農業と漁業は両立発展することが可能である。潮受堤防を開放したとしても、農業には影響は出ず、むしろ今起こっている農業被害を解消するためにも潮受堤防の開放が必要である。
国は面子に拘らす、農業と漁業の発展、そして地域の再生のために真摯に問題解決に向き合うべきである。
そのためにも、裁判の場だけでなく、国会の場でも有明海再生の問題を大きく取り上げ司法判断すら無視する安倍政権の横暴を浮き彫りにしていくことが必要である。宝の海有明海をよみがえらせるために、市民の力で政治を動かしましょう。