原発なくそう!九州玄海訴訟(佐賀地方裁判所)における原告奥田ふみよさんの陳述。
1 14年前の3.11「東日本大震災・東電原発事故」から私は変わりました。
その日、私のお腹には3人目の子がいて臨月でした。
当時、東京に住んでいた私は、自分の楽しみだけにしか興味がなく、選挙にも気分次第で行ったり行かなかったりするような本当に愚かな母でした。生きているのが当たり前、困った時には国が助けてくれるだろうと思い込んでいました。
東電原発事故を受けて、政府も電力会社も国民を守る気なんかまったくないのだと気づけました。その瞬間「子どもを是が非でも守りたい!一緒に生き抜きたい」ととてつもない危機感が込み上げてきました。この時初めて私は「政治とは何なのか」「国家とは何なのか」と問うようになりました。
2 原発事故を受けて、私は子どもたちを連れて故郷の福岡県に避難しました。
私が暮らしている糸島市二丈は、玄海原発から22〜23kmしか離れていませんが、福島第一原発事故を受けて日本中の原発が止まっていたので、もう原発が再稼働することはないだろうと安心して生活していました。
2017年3月23日に糸島市で行われた玄海原発に関する住民説明会に私は糸島市民として参加しました。600名以上の市民で溢れていました。九州電力、資源エネルギー庁、原子力規制委員会、内閣府、糸島市長が説明をしました。
私は、当時13歳の息子から自分の代わりに質問してきて欲しいと頼まれ、九電取締役山元春義氏に「どうしてこんなに沢山の命を脅やかす原発を再稼働するのですか?中学生の息子に分かるように説明して下さい」と質問しました。
これに対する山元氏の答弁は「2011年に玄海が止まり、厳しい電力需給の中、節電へのご協力をお願いし、火力発電も動かしました。また他電力から買ってお届けするという悔しい思いもしました。今ようやく川内原発も稼働し、今後中小企業にも病院にも事故前と同じ他社ではなく原発の稼働で安定した電気をお届けしたいので、息子さんにもご理解頂きたいとお伝え下さい。」と驚くべきものでした。
この返答を見た息子は「僕たちの命が脅やかされても金儲けしたいって事だね。」と言いました。
3 2018年3月、国と九州電力は、玄海原発再稼働という暴挙に出ました。
私は、国と九州電力に対する怒りがおさまらず、「子どもの命を守りたい母の会」を発足し、糸島市と佐賀県に再稼働差し止め要請書を提出し記者会見を行いました。その際に色々な立場の方々から様々な事を言われました。
「再稼働なんかしたらいかんよ。でも何言われるか分からんけん何も言えんのよ」
「オンナに何が出来る!ただの母親がでしゃばるな!」
「結局何をしても変わらんとよ」
市民が、何故こんなにも周りを気にして怯えて諦めて理不尽に黙らなければならないのか。それは日本の学校のルールや校則が、徹底管理画一化させて全員を黙らせ従わせる軍隊指導にあるからではないかと思いました。
教育を変えなきゃ原発も止まらないと痛感しました。
4 私は、3年前まで子どもたちにピアノを教えるピアノ教師をしていました。
原発再稼働を前にして、これまでともに活動をしていた仲間たちの中からも諦めの声が大きくなっていったのをきっかけに、私は、国の原発政策を変えること、教育を真の主権者教育に転換させるために政治家を志すようになりました。
5 私が住んでいる二丈吉井は、玄海原発から22〜23kmしか離れていません。
糸島市の原子力災害広域避難個別計画によれば、玄海原発に放射能漏れなどの事故が起きた場合、防災行政無線で住民に知らせるとあります。しかし、原発から22〜23kmしか離れていないので、たとえ風速5m程度の柔らかい風であっても、玄海原発から放出した放射性物質は1時間ちょっとで二丈吉井に到達します。私たちが防災無線で放射能漏れを知ったときにはすでに被爆しているのです。
事故の際にはまずは屋内退避とされていますが、私の家は、古い木造家屋で隙間だらけですので、放射性物質の侵入を防ぐことは不可能です。
また、糸島市原子力災害広域避難経路として、私の暮らす二丈吉井地区の住民は、43.7km離れた福岡市博多区東平尾公園にあるスポーツ科学情報センターアクシオンに避難することとなっています。避難経路として、二丈浜玉道路から国道202号バイパス、福岡前原道路、福岡都市高速環状線を通って、アクシオンに行くこととなっています。
糸島に遊びや観光に来た方は分かると思うのですが、このルートは夕方になると唐津糸島方面から福岡に向かう車で渋滞となります。特に休日の夕方になると、大渋滞です。
ひとたび原発に事故が起これば、唐津や糸島に暮らす人々は東に逃げようとこのルートに殺到し、しかも、スクリーニング会場でさらに渋滞が発生して、交通が麻痺することは容易に想像できます。
このルートを迂回しようにも、海沿いの道は細く身動きが取れなくなります。
しかも、放射性物質は風に乗って西から東に向かいますので、私たちは、放射性物質が飛ぶ方向に沿って避難することになります。当然、避難先でも被爆してしまうでしょう。
玄海原発に事故が起これば、私たちは逃げることすらできません。ただ黙って被爆するしかないのです。
原発は廃炉にするしかありません。
6 原発関連予算を自然エネルギーの普及促進に振り向ければ、自然エネルギーで安心して生活ができ、子どもたちに明るい未来が開かれる事は明らかです。
原発を稼働するという事は、ただただ目先の原発利権でしかありません。私たち市民の生存や子どもの命を守ろうという気はまったくないのです。
私は、子どもたちの未来を守るために原発と闘います。子どもたちが未来を諦めることなく、主権者として自分の意見をきちんと言うことができるように、この国の教育を改革しようと思っています。