本日、安保法制違憲福岡国賠訴訟が結審を迎えました。
福岡大学名誉教授の石村善治さんが法廷で意見を述べました。
1 2017年3月14日、この訴訟の第1回口頭弁論で、私は意見陳述を致しました。
そして、本年9月3日、この法廷で私は、原告本人尋問ということで、話をさせて頂きました。
そこで申し上げたとおり、私は1927年生まれであり、戦争終結の1945年8月15日には18歳で、旧制福岡高等学校文科の2年生でした。学友の約半数が召集され、幹部候補生として軍役に服していました。私も、いつ召集令状が来てもおかしくありませんでした。
召集されなくても、学校の軍事教練の時間に、本土決戦となった場合には、第一線の米軍上陸部隊に体当たり攻撃を行うとして、その訓練をさせられていました。体当たり攻撃というのを具体的に申しますと、大量の爆薬を持って防空壕に潜み、アメリカ軍の戦車が防空壕の真上を通過する時に、手に持った爆薬を上に挙げて戦車を破壊せよ、ということでした。仮に戦争が続いていれば、私たちが命を長らえることはなかっただろうと思われます。
だからこそ、私にとって戦争の終結は、これで自分は死なずに済んだ、これで兵隊にとられることなく、命を長らえることができる、という心の底からの喜びであったのです。
それとともに、戦争の終結は、これで自由を取り戻せる、という喜びでもありました。かつての高校生のように、頭髪を自由に伸ばせる、と嬉しく思いました。町も、それまでは灯火管制の真っ暗な夜でしたが、その日の夜から、あかあかと一斉に電気がともり、「平和の夕べ」の到来だ、と感激を覚えたことを思い出します。
1945年の6月、福岡大空襲の夜には、博多の街が燃え、私が暮らしていた高校の寮、まさにこの場所にあった寮ですが、この寮も焼夷弾の直撃を受けました。
2 終戦を迎え、新しく制定される憲法において、戦争からの解放、軍隊の復活はあり得ない、という気持ちでした。それは、広島、長崎の原爆の被害を経たほとんど全ての日本人の思いだったと思います。
日本国憲法の平和主義は、そういった日本人の思いを込めて定められたものです。
3 憲法学の研究を続けてきた者として、日本の現状に対して警鐘を鳴らす義務があるというのが私の思いです。
それは、新安保法制を制定するに至った現在の日本と、かつてのナチス・ドイツとが酷似しているという状況があるからです。歴史の教訓としてのワイマール憲法下におけるヒトラー政権の態度というものを、ここで述べておきたいと思います。
しばしば見られる誤解として、ヒトラー政権は、ワイマール憲法を廃止してあの歴史的暴挙に及んだ、というものがありますが、そうではないのです。ワイマール憲法は一部が停止されただけで、ヒトラー政権はあくまでワイマール憲法体制下で成立し、ワイマール憲法体制下で活動した政権なのです。
少々詳しく説明します。
ヒトラー政権は、1933年、「民族と国家擁護のための緊急命令」によって、憲法第48条第2項の基本権(「人身の自由」「住居の不可侵」「信書の秘密」「出版の自由」「集会の自由」「結社の自由」)を「当分のあいだ」「停止」し、叛逆罪・毒殺罪・放火罪等を死刑にしました。「当分のあいだ」とは、当初「4年間」でありましたが、これを利用して、ナチスに全権を委任する「授権法」を強行成立させ、ナチス独裁政権を成立させたのです。
このヒンデンブルク=ヒトラーの手法は、現在の日本の状況において、真剣に考察されなければなりません。なぜなら、それが、憲法9条の改正手続によることなく、その解釈変更と新安保法制の制定によってその実質的な変更を成し遂げたという手法と酷似するからです。また、現時点での日本の政治状況もまた、あまりにもワイマール末期、すなわちヒンデンブルク=ヒトラーの時代に類似するからです。
4 現首相の岸田文雄氏は、今月6日の所信表明演説の中で、次のように発言しています(毎日新聞)。
「8 外交・安全保障
『新しい資本主義』の前提は、国民の安全・安心、わが国の国益を守る外交・安全保障です。…(中略)…わが国を取り巻く安全保障環境は、これまで以上に急速に厳しさを増しています。経済安全保障や、宇宙、サイバーといった新しい領域、ミサイル技術の著しい向上、さらには、島しょ防衛。こうした課題に対し、国民の命と暮らしを守るため、いわゆる敵基地攻撃能力も含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討し、スピード感をもって防衛力を抜本的に強化していきます。このために、新たな国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛力整備計画をおおむね1年をかけて、策定します。」と。
この所信表明の中で、下線部分は、とく危惧をもって注目しておかなければなりません。
この点について、12月9日、日本共産党志位和夫委員長の代表質問が行われ、それに対して岸田首相は次のように答弁をしました(12月10日付け赤旗)。
「『敵基地攻撃能力』 もっぱら相手国の国土の壊滅的破壊にのみ用いられる攻撃的兵器の保有は自衛のための必要最小限度の必要最小限度の範囲を超えるため憲法上許されず、この一貫した見解を変更する考えはない。敵基地攻撃能力については鳩山内閣の政府見解(1956年)を踏襲している。何よりも重大なことは、国民の命や暮らしを守るために必要なものは何かという現実的議論を突き詰めていくことだ。」
この発言は、今回の安保法制の強行採決の経過を思い起こすならば、発言の後半にいうとおりの必要性があれば、発言の前半でいうような建前、すなわち憲法をも無視し得るという姿勢であり、これを容認し続けるならば、ヒンデンブルク=ヒトラーがやってきたことの二の舞を演じることにさえなりかねません。
5 集団的自衛権の行使により、海外で戦争をする国へと道を開いた新安保法制に対し、大半の憲法学者が憲法違反であると訴えています。多くの国民がこの見解を支持しています。
今の政府は、「国民は、国会の多数決で決まったことには黙って従え。」という言わんばかりの政治姿勢を顕わにしています。
多数者による暴走をとめ、国民の権利を守るためにこそ、裁判所に違憲立法審査権が付与されているのです。
当裁判所におかれては、この国民の付託に応え、本訴訟において、適正に違憲立法審査権を行使されることを切に希望し、私の最後の訴えとします。