本日の安保法制違憲訴訟控訴審(福岡高裁)で本河知明さんが意見を述べました。
全文掲載します。
1 控訴人の本河知明と申します。11年前(2012年)から福岡市議会議員の事務所で秘書を務めております。今日は、8歳と5歳の子どもを持つ父親として、子どもたちにどういう社会を残していきたいかという想いを意見陳述させていただきます。
2 ある方が「政治の役割は二つある」と言っていました。一つは「国民を飢えさせないこと」、もう一つは「絶対に戦争をしないこと」。私もまったく同感です。
昨年2月にロシアがウクライナに侵攻し、世界中が平和の危機を感じた一年でした。また、これに伴い世界的な食糧不足、エネルギー不足が発生し、これらの多くを海外からの輸入に頼っている日本は、円安の影響もあり、物価の高騰が生活に打撃を与えています。
そのような中、昨年末に岸田政権は「安保3文書」を改定し、国会での議論もないまま、閣議決定によって戦後の外交・防衛政策を大転換してしまいました。もともと「敵基地攻撃能力」と呼んでいたものを政府は「反撃能力」と言い換えていますが、日本が武力攻撃を受けていない段階でも相手国にミサイルを撃ち込むことを可能にし、従来の「専守防衛」から大きく逸脱する、大転換です。
この裁判は2015年に国会で強行採決された「安保法制」をめぐっての裁判ではありますが、2014年に閣議決定された「集団的自衛権の容認」も、2015年の「安保法制」も、2022年の「敵基地攻撃能力の保有」も一続きの政策転換であり、いずれも憲法改正に相当するレベルの政策の大転換です。それが国の最高機関である国会でまともに議論されないで決まっていくという事態が続いているわけです。本来、憲法改正は国民投票を行われなければなりませんが、私たち国民は「国民投票」という権利を奪われてしまった、とも言えます。2015年の安保法制の成立以降、2度の衆院選と3度の参院選が行われましたが、はたしてこの問題が争点になったと言えるでしょうか?政府は国民に対して説明責任を果たし、国民に信を問うたと言えるでしょうか?
日本国憲法の3本柱の一つである「平和主義」に関する政策の大転換が、もう一つの柱である「主権在民(国民主権)」を無視して行われたことに対して、適切な司法判断を下していただきたいと思います。
3 次に、これも昨年12月に岸田政権が打ち出した「防衛費倍増」「5年間で43兆円」という予算方針についてです。
もともとこの方針の背景の一つに、安倍第2次政権時代に始まったアメリカ製兵器の「爆買い」があります。この爆買いのローン残高が5兆8642億円にも上り、防衛費予算に匹敵しています(『週刊金曜日』1405号(2022年12月16日号)p14〜19)。さらに、この「爆買い」は型落ちした兵器も含めてアメリカ側の言い値で購入させられるという、日本に不利な契約になっています。日米地位協定も日本に不利な内容になっており、ずっと見直しを求める声がありますが、政府はまったく見直そうとしていません。政府が、国民ではなくアメリカ政府のほうを向いて政治を行っていることは明らかです。
一方、岸田政権は「子ども予算の倍増」も掲げていますが、今年4月から「こども家庭庁」が創設されるにもかかわらず、具体策の議論は後回しにされたままです。政府は防衛費増額のために「建設国債」も充てようとしていますが、問題の先送りです。将来世代への負の遺産にしかなりません。防衛費増額は、世界的な軍拡競争に拍車をかけるだけです。世界の軍事費は、この20年で倍増し、200兆円を超えていますが、その結果、世界は「平和」に近づいているでしょうか?
核兵器は世界に12720発もあります。世界終末時計は、残り1分40秒(100秒)となっています。人類は、核兵器とともに滅びゆく絶滅危惧種かのようです。
私たちは、防衛費ではなく、もっとほかのことに予算を増やすべきです。憲法25条に則り、健康で文化的な最低限度の生活を保障するための予算、格差や貧困をなくすための予算をもっと増やすべきです。虐待やいじめ、不登校など、子どもをめぐる社会環境は悪化しています。教育予算をはじめ、子ども関連予算をもっと増やすべきです。学生が学業に専念できるよう、学費や生活費を心配しなくてもいいようにすべきです。食料自給率を高め、再生可能エネルギーを中心としたエネルギー自給率を高めるための予算も、もっと増やすべきです。それが、戦争を引き起こさないことにもつながります。戦争さえなければ、平和というわけではありません。2万人も自死する人たちがいる日本は、本当に平和な国だと言えるのでしょうか? 防衛費を増やすことよりも、もっと優先させるべき社会課題はたくさんあります。
4 紛争が多い中米に、コスタリカという軍隊をすてた国があります。コスタリカでは防衛費に使うのではなく、教育予算や、環境保護のための予算などを充実させています。再エネ100%の持続可能国家への道を着実に進んでいます。
一方で、アメリカは1776年の建国以来、ほぼずっと絶え間なく戦争を繰り返してきた国だと言われています。戦争をしていなかったのは、20年もありません。そして、日本以上に格差と貧困が拡がっている国です。
私たち日本は、どちらの方向に進んでいくべきでしょうか? 私は、コスタリカのような国をめざしていくべきだと考えますが、一番の問題は、このような重要なことが「国会で議論されていない」ことであり、政府が国民に説明責任を果たしていないことだと考えます。
いま国も企業も「SDGs」が謳われています。「誰ひとり取り残さない」がSDGsのスローガンですが、民主的な意思決定方法としてよく使われる多数決は「少数者(反対者)を取り残す」意思決定方法でもあります。「誰ひとり取り残さない」社会を実現させるためには、多数決に頼るのではなく、議論を尽くし、すべての人を包摂する政策決定プロセスこそが重要です。第2次安倍政権以降の政治は、このプロセスがまったく抜け落ちており、私たち国民は精神的苦痛を強いられています。
国会や内閣だけでなく、司法においても説明責任は存在します。今回の控訴審に置かれましては、これまでのすべての高裁・地裁の安保関連の判決が、真の争点をはぐらかした肩透かし判決であったことを直視し、私たちの精神的苦痛を汲み取り、厳正な判決を下していただきますよう、よろしくお願い致します。今回は意見陳述の機会をいただき、ありがとうございました。