本日福岡県弁護士会定期総会において採択された「校則見直しに関する意見書」について以下の意見を述べました。
私は、2017年に福岡市内の公立中学校のPTA会長となりました。
PTA会長として中学校に行って驚いたのは、校内のあちこちから聞こえる罵声です。生徒が暴れているのではありません。どれも、教師が発しているものです。学校以外の場所では聞くことのない汚い言葉が耳に入ってきます。
朝の校門では、腕組みをした教師が「挨拶せんか」「走れ」と大声で怒鳴り、気持ちよく一日をはじめる雰囲気ではありません。
PTA会長となって一か月も経たない内に学校に行くのがシンドくなってきました。一時間も学校にいると限界です。こんなストレスフルな環境に子どもたちは置かれているのです。
そのような中、明確に男女分けされた学生服を強いられるのが辛いという学生の声に接しました。
学生服のせいで学校に行けない、教育を受ける権利を奪われるというのは本末転倒です。
そこで、弁護士会は「LGBTと制服」をテーマにシンポジウムを行いました。
このシンポジウムがキッカケとなって、まずは警固中学校がジェンダーフリーの学生服に切り替わり、2020年度からは、福岡市と北九州市のすべての公立中学校で男女を問わずに選べる学生服に変わり、今では県内の多くの自治体でジェンダーフリー標準服が実現しています。
しかし、学生服がジェンダーフリーとなっても、髪型や細かな校則において不必要な男女分けが残ったままでした。
そこで、弁護士会で福岡市内の全公立中学校の校則を調査し、2021年2月に、校則の見直しをもとめる意見書を発表しました。
その後、福岡市は校則見直しに関するガイドラインを発表しました。弁護士の目から見ると、十分と言えるものではありませんが、各学校や現場の教師がこのガイドラインに沿った校則見直しや学校運営をするのであれば、学校は子どもたちにとって随分と過ごしやすい環境となります。
しかし、実際には形だけの見直しに終わった学校が多く、ストレスフルな環境は変わりませんでした。
なぜ学校は変わらないのか。それは、学校現場において、子どもの権利、そして人権についての正確な理解がされていないという点に原因があると感じます。
例えば、学校では、「義務を果たして権利を言え」「学生のうちは我慢しろ」「理不尽にも耐えろ。社会に出るともっと理不尽なんだぞ」というスローガンが多用されます。今どきの中学校では体育大会がゼロ点から始まりません。赤ブロック−38点対白ブロック−52点といった具合にマイナスからスタートします。というのも、日頃の生徒の忘れ物や遅刻、学習態度などを教師が評価して、その生徒が所属するブロックの点数を減点していくからです。学校が得意とする「連帯責任」です。「ブロックの点数が引かれたのは誰々のせいだ」というイジメの種を教師が作っているようなものです。この点、生徒が意見をしたところ、来年からは加点方式にするとのことです。冗談かと思いました。
理不尽に耐えろというのは、いわゆる「ブラック企業」に勤めても辞めずに耐え抜けということで、過労死を生む結果となりかねません。学校ほど理不尽な場所は社会にそうそうあるものではありません。理不尽には声を上げること、声を上げて変えることを教えることこそ本来の教育ではないでしょうか。
権利が義務を果たした対価ではないことは言うまでもありません。そして、大人になったから自由がもらえるのでもありません。生まれながらに自由です。当然のことですが、学生にも自由が保障されます。その自由を制限するには、正当な目的と、手段が相当であることが必要です。
なのに、学校では、規制が原則で、自由を認めるととんでもないことになるとの意識が根強く残っています。
かつて、県内の多くの学校で丸刈りが強制されていました。
弁護士会の先輩方がこの理不尽に声をあげ、学校を訪問し、校長と粘り強く話し合い、丸刈り校則を撲滅しました。そんなことをしたら学校が荒れるという声もありましたが、丸刈りを撤廃したところで、学校が荒れることはありませんでした。
今、私たちが理不尽な校則に声を上げるのは、かつて丸刈り校則と闘った先輩弁護士たちの姿が焼き付いているからです。
当番弁護士もそうですし、少年全件付添人など、最初は「そんなのは無理」「できるわけない」と言われたと思います。それでも、反発を跳ね除けて人権擁護のために実現した先輩たちの闘いに私たちは多くのことを学びました。
人権侵害を許さない、声を出せない子どもたちの代わりに弁護士が声を上げる、といった先輩方が築いてきた福岡県弁護士会の良き伝統が、私たちの中に脈々と受け継がれていることに気付かされます。
今回の意見書は、福岡県弁護士会に受け継がれてきた人権魂の結晶です。
#子どもの権利
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