本日、糸島スマイル校則プロジェクト(保護者有志の会)は、糸島市長・教育長に、学生服・校則に関する要望書を提出しました。
2021年(令和3年)12月20日
糸島市長 月形祐二様
糸島市教育長 家宇治正幸様
糸島スマイル校則プロジェクト
(保護者有志の会)
要望書
第1 要望の趣旨
1 学生服について、着用を強制する「制服」としての運用を直ちにやめ、着用が義務付けられない「標準服」としての運用を徹底すること。
2 合理的理由が説明できない、もしくは人権上問題がある校則や生徒指導を直ちにやめること。
3 校則の制定や見直しにおいて、生徒を中心にした「校則検討委員会」を設けるなど生徒の意見を反映させること。
第2 要望の理由
1 自分の服装を自分で決める権利は憲法上保障された人権です(自己決定権・憲法13条)。それがたとえ未成年であっても同様です。この点、糸島市内中学校の校則で学生服が「制服」ではなく「標準服」とされているのもかかる趣旨に基づくものです。
ここで「標準服」とは「学校などの組織において、所属者が着用することが望ましいとされる服装」を言い(実用日本語表現辞典)、着用を強制される制服ではなく、学校側が生徒に着用して欲しいと考えている服装に過ぎないものです。もし学生服を着用しなければ教室に入れてもらえない、着替えさせられるという運用をするとすれば、それは生徒の自己決定権(憲法13条)、表現の自由(憲法21条1項)を侵害する明白な人権侵害であり、何より生徒の「教育を受ける権利」(憲法26条1項)を奪うものとして憲法違反となるものです。このことは裁判においても確認されていますし、各自治体においても繰り返し確認されているところです(例えば、隣の福岡市議会においても2018年(平成30年)に「標準服は、全ての生徒に着用義務がある制服ではなく、中学生らしい簡素な身なりができ、機能性や耐久性、保護者の負担軽減等の観点に配慮して、学校において着用することが望ましい服装として各学校長が採用しているもの」であることが確認されています)。
それにも関わらず、貴市においては、「標準服」と位置付けながらも、学校指定の学生服の着用を生徒に義務付け、購入させ、いわば「制服」として強制的に運用しています。その結果、子ども達は自分が着る服を自分で選ぶことができず、思考停止となっています。このような本音と建前を平然と使い分ける貴市のやり方は「教育」とは程遠いと言わざるを得ません。
2020年(令和2年)3月13日、糸島市議会での柳明夫議員による公立中学校制服義務付けの改善質疑において糸島市教育委員会井上教育部長は、制服着用の理由を「学校への帰属意識を持たせるため」と答えました。
そもそも教育は、「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養う」ことを目標としてなされなければなりません(憲法13条、教育基本法2条2号)。このような生徒一人一人の個性を尊重し自主自律の精神を養わんとする教育の目標に鑑みれば、自主自律の精神を養うことよりも学校という集団への帰属意識を植え付けることに重きを置く貴市の教育方針は、憲法及び教育基本法の趣旨に反すると言わざるを得ません。この点、本年7月に福岡市立校長会が発表した「より良い校則を目指して」では、生徒に「自分でよりよいものを選択する力」を身につけさせることが校則の意義であることが確認されていますが、帰属意識を植え付けるために生徒に選択の自由を与えないというのは、上記校則の意義にも反するものです。
さらに、井上教育部長は制服着用は経済的だとも答弁しました。
しかし、実際には、冬服、夏服、体操服、靴、バックなどの購入で入学時点で金額は15万円程の支出が強いられます。到底、経済的とは言えない金額です。このような多額の支出をしなければ中学校に通うことができない状況は「義務教育は無償とする」とした憲法26条2項の精神にも反すると言わざるを得ません。
人生の中でも最も身長が伸びる中学校時代において、半年や1年ほどで制服を作り直す例も少なくありません。毎日洗濯ができない制服をコロナ禍でも着続けなければならないことは大変不衛生であり、子どもの命と健康を守ろうとする姿勢に欠けているとしか思えません。
前記「より良い校則を目指して」において、生徒に「自分でよりよいものを選択する力」 を身につけさせることが校則の意義であることが確認されているように、TPOに合わせて生徒一人一人が自分で考え、自分の服装は自分で決めるという自主自律のの精神を養うことこそが教育であり学校の務めです。
学生服が「標準服」にすぎないことの説明もせぬまま、校長が指定した学生服を一方的に強制するこれまでのやり方は理不尽であると言わざるを得ません。
学生服が標準服にすぎないことを生徒・入学予定者及び保護者に周知徹底し、生徒が標準服ではなく私服を選択したとしても特段のペナルティを受けることなく安心して学校に通うことができる環境を作るなど、制服を強制する実態を直ちに見直してください。
2 私達は5年前から糸島市内の現役中学生からのヒヤリングをはじめました。その過程で明らかとなった市内4中学校における実例を紹介致します。
(1)現在もあるルールや校則
ア 登下校時
(ア)門を通過したら校舎に向かって一礼をしなければならない
(イ)自転車通学の際の学校指定の自転車以外は禁止
(ウ)自転車通学の際の学校指定のヘルメット以外は禁止
イ 校内生活
(ア)靴箱に靴がきちんと揃えて入っているか(奥の壁につかない、前にはみ出し過ぎない、左右の靴を揃える等)を点検係の生徒が点検し、項目に反した靴の置き方をした生徒を毎日朝の会で報告。
(イ)教室の後ろの棚と廊下の棚に置いている物がはみ出してないか毎日点検係の生徒が点検し、朝の会と帰りの会で報告。
(ウ)他学年の廊下は通行禁止。
(エ)給食を食べる時間は15分
(オ)給食を全員食べ終わるまでは教室から出てはいけない。
ウ 身だしなみ
(ア)眉毛
眉毛を整えた生徒に対し、その理由も聞かずに指導主事教師が眉墨ペンで眉を書きいれる。
(イ)髪型
・ツーブロック、ソフトモヒカンの禁止
・高い位置のポニーテール、三つ編みの禁止。
・髪が耳にかかってはいけない、髪が肩にかかってはいけない、横髪が顔にかかってはいけない。
・後ろ髪を縛るゴムは黒、紺、茶のみ。
(ウ)爪の長さ
手のひらを開き爪が見えたら校則違反。
エ 服装等
(ア)通学靴
通学靴は白色、靴紐も白色。
(イ)靴下
靴下は白色。ワンポイントのみ。くるぶしが隠れる程度の長さ。
(ウ)学生服
・指定学生服以外の着用禁止。
・スカートは膝が隠れる程度の長さ。廊下に膝立ちにさせて検査。
(エ)肌着
肌着の色は白。
オ 校則違反のペナルティ
体育祭前1か月は毎日クラスで風紀点検をし、違反については体育祭当日のブロック点数から減点
(2)保護者らの抗議で廃止となったルールや校則
ア 宿題忘れの人数を生徒会役員が調査し毎朝放送する
イ 宿題忘れの生徒の氏名を紙に書いて毎日廊下に貼り出す
ウ 生徒会役員が給食準備時間になると一年生の教室に入り見張り役として教室後方で監視
エ 毎日全ての教科書、資料集や備品(体操服など)を持ち帰る(総重量15kg超)
(3)ここに列挙したもの以外にも様々な理不尽なルールが存在し、今この瞬間も生徒達を苦しめ続けています。ある生徒は校門で敬礼が強制された続けたことから、横断歩道などで一時停止した時にもロボットのように身体が勝手にお辞儀してしまうようになりました。
しかも、上記のようなルールを生徒同士で監視させ合い、生活点検違反を「連帯責任」として班やブロックにペナルティを押し付けています。ある生徒は、毎日何回も監視され執拗にチェックされることで、いつも自分が悪い事をしてる気分になり学校にいる間中身体が重くなるとのことでした。 生徒が学校で過度のストレスにさらされている証左です。
理不尽なルールの存在と、生徒に監視させること、連帯責任を負わせることで、生徒間に分断が生じるのは必然です。学校がイジメのきっかけを作っていると言っても過言ではありません。
また、理不尽と知りながら「指導」を続けなければならない教師の苦しさも想像に難くありません。
このような相互不信の対立と分断を作ることが、果たして健全な「教育」と言えるのでしょうか。
(4)自分たちのことは自分たちで決めるというのが民主主義社会の大原則です。子どもであっても当然に人権が保障され、学生であっても自分たちを縛る決まり事は自分たちで決めるという民主主義の大原則が保障されなければなりません。それこそが文科省が推進する主権者教育の根幹です。
しかし、実際には、生徒は毎日朝から夕方まで詮索を受け、いつもビクビクしながら教師の顔色をうかがい、点検係にさせられた生徒らの顔さえも伺いながら、何も言われないように、自分の内申書に響かないように、理不尽なルールにも黙って従います。
本来教育で最も大切な自己判断や自己決定などが全く出来ない状態で、子どもたちの多くは入学当初にショックを受け、慣れるしかないと諦め、従い、早い段階で思考停止していきます。そのような息苦しい学校生活を送っている子どもが少なくないのです。
子ども達の窮状を訴えたところ、教師からは「校則で決まってる」「社会に出て困らないように(理不尽なルールであってもそれに従わせる)」「中学生だと一目で分かるようにするため」という納得できない回答が返ってきました。ある教師からは「ルールとは個人のためではなく全体のためにあるから(理不尽であっても)守らないといけない」「子どもは最初のうちに抑えつけておかないと後で大変な事になる」とはなから子どもを信頼していない返答がありました。 このような説明は到底納得できるものではありません。
子どもは学校で日々このような理不尽な校則や生活指導を強制されています。
確かに校則には集団生活を円滑に行うことで子どもたちの「教育を受ける権利」(憲法26条1項)を充足するという意義があります。
しかし、貴市の中学校の校則の多くは、子どもの「教育を受ける権利」を充足させる事には繋がらず、逆に理不尽な決まりでも黙って従うべきという意識を生徒たちに植え付けかねないものとなっています。
これでは民主主義社会を構成する市民として、自分の頭で考え、自分の意見を持ち、おかしなことには声を上げて変えていくという自立した主体的な市民を育成する教育の理念を否定することになり、市民の社会参加を阻害する結果となってしまいます。
この点、前記の糸島市議会での柳明夫議員による公立中学校校則改善質疑において、井上教育部長は「校則は社会環境や児童生徒の変化に応じて見直すことが必要と考えている。市教委主催の中学生子供サミットでは、SNSの使い方など常に生徒会活動で議論し、保護者代表の意見を交えた上で、市全体でルールを決めているところである。校則等についても同様の取り組みを行うことが必要と考えている」と答えています。
教育委員会においては、教師だけでなく生徒や保護者からのヒアリングを行い実態を把握し、人権上問題がある校則や生徒指導を直ちにやめるよう、各学校、教師に対して指導を行ってください。
3 ある中学校で、かつて、宿題忘れの人数を生徒会役員が調査し毎朝放送することが行われていました。保護者から、なぜ子ども達の学習意欲を削ぐような事を行っているのか尋ねたところ、同校の校長は、生徒会が考案したことなので、教師が口出しするのは教育上良くないと答えました。ただ、その宿題忘れ調査は7年前から行われているものでした。つまり、今の生徒会が考案したものではなく、生徒達はただ単に前例に従っているだけなのです。
この例から分かるように、形式的に生徒の意見を聞いた、生徒の意見を尊重したというだけでは、生徒の意見を反映したことにはなりません。
今後行われる校則の制定や見直しにおいては、生徒主体の検討委員会などを設置するとともに、生徒達が本音を出し合って、生徒達が自分事として主体的に考えることが大事になります。その際に、生徒達が発言しやすい雰囲気を作ることこそ、教師や学校に求めらる役割です。仮に生徒の意見に対して教師が「そんなの無理」とか「ふざけるな」といった発言をした時点で生徒達は本音を言えなくなります(悲しいことに教師が生徒にそのような発言することが容易に想定できます)。それ以降に出てくる生徒の意見は、教師が求めている答えを生徒が先回りして考えたものであり、決して生徒自身の意見ではありません。この点、世田谷区立桜丘中学校において「校内に自動販売機を設置して欲しい」という生徒の意見を否定することなく真正面から受け止めその実現に尽力した西郷孝彦校長(当時)の姿勢にこそ見習うべき点があると考えます。
各校に生徒や保護者代表をメンバーとした校則検討委員会を設置したり、生徒総会などで校則について議論することで、生徒が主体的に参加できる仕組みを作るよう、各校に指導を行ってください。
文部科学省は「主体的で対話的な深い学び」を推進しています。 この意味を学校も教育委員会もしっかり受け止め、生徒たちが主体性を持って充実した笑顔溢れる学校生活を送れるよう以上要望いたします。
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