那珂川市小・中学校PTA連絡協議会、青少年補導員会「人権・子どもの権利〜那珂川市子どもの権利条例を日々の生活に活かす」では、参加者からの質問がどれも鋭く素晴らしかった。
自由と自由がぶつかった時に、それを調整する場合、どのような基準で考えれば良いのか。
憲法の学問上は、二重の基準論や、明白かつ現在の危険の基準、より制限的でない他の選びうる手段の基準など大まかに5つの基準を用いて考えるけど、もっと端的に分かりやすく説明できんやろうか。
目的と手段の二つの視点で考えること。
① 自由を制限する目的は何か。その目的は人に納得してもらえるようなものか。
② 自由を制限する手段は最小限のものになっているか。
自由を制限しなければならない目的って、要はその自由が他人の邪魔になってないかということ。でも、多少の迷惑はお互い様(バスの車内で赤ちゃんが泣いてもお互い様。公園で子どもが遊んでいてもお互い様)。自由を我慢しなけりゃならない程他人に迷惑をかけているかってこと。この視点で見たらいいんじゃないかと思う。
例えば、人には移動の自由があるのに赤信号で止まるのはなぜか。
それは、他の通行者と衝突してしまうから。自分の通行も邪魔されたくないってことは他人の通行も尊重するってこと。この目的は納得できる。
そして、その手段はせいぜい1分程度我慢するだけ。それやったら我慢できる。でも、3日間も赤信号が続くのはやりすぎ。
ポニーテール禁止で考えると、生徒には好きな髪型で登校する自由があるのでポニーテールで通学してもいいはずなのに、なぜ禁止するのか、その目的は何か。
男子が欲情するから→到底納得できる理由じゃない。
後ろの人が失明するから→そういう事実自体がない。
つまり、ポニーテールにしたところで、誰の邪魔にもなっていない。
だったら、ポニーテールを禁止するのはやりすぎってこと。
そう考えると、ザ・モッズの「ジャマをするな」って人権(自由)の本質を突いていて鋭いね。
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