中国人強制連行強制労働被害者の遺族8名が、飯塚市と宇美町の三菱炭鉱跡で開催された慰霊祭に参加するために来日しました。
 
遺族の劉永会さんの言葉
「当時、父が拉致された時、家には両親と妻、そして二人の娘がいました。その時、長女は4歳、次女は2歳で、父は家の重要な労働力でした。彼が連れ去られた後、私の祖父と祖母はご飯が食べられなくて眠れず、息子のことを思って病気になりました。祖母は泣いてばかりで目が見えなくなり、やがてこの世を去りました。母は大きなプレッシャーを受け、夫を思いながら、家族が生きていくために、父の代わりに畑で働きました。二人の幼い子の世話をし、彼女も病気で倒れ二度と立ち上がれなくなりました。父が連れ去られてからあまり時間が経たない内に、父の母、妻が相次いで亡くなりました。約15ヶ月後に、父が日本から帰って来ましたが、家はすっかり変わっていました。このような例はたくさんあります。この悲劇を私たちは決して忘れてはいけません。二度と繰り返させてはいけません。二度と日中の間に戦争が起こらないことを願い、世界平和を祈ります」
福岡に強制連行された中国人5649名。うち823名が祖国に帰る前に亡くなりました。
 
過ちを認め、被害者に謝罪し、記念碑を建立した三菱マテリアル(旧三菱鉱業)の加害企業としての真摯な姿勢にも敬意を表します。