「不登校から見えてくる教育の未来〜多様性を考える」(前川喜平さん・元文部科学省事務次官)を開催しました。
あちこち講演していますが、呼ばれているからしていまして、講演したいから行っているわけではありませんで…。
私自身も小学校3年生から不登校、一学期から三学期の終わりまで。
不登校の文科省の定義。
奈良県、人口2万人。御所のはずれ、秋津小学校。
やりたい放題の生活で、ハッピーでした。
1963年、親の都合で、東京都文京区へ引っ越し、転校。担任の先生に会った時から、これは合わないな。夏休み、プールの授業、奈良県の育ったところは海なし県、プールもなく、泳いだことがない。はいたことのない海パンをはいて、水の中に、ずっと入っていると夏でも寒い。泳げないのは、私と。
今でも泳げない、泳がないという決心をした。
人間は陸で生きると決めた生物でした。
プールの授業のトラウマがあって、休んだり、先生も嫌いで。
ボキャブラリーも違い、お父ちゃんお母ちゃんと言うが、東京はパパ、ママ。
お腹が痛くなる、吐き気がする。身体症状に出る。
母が、学校行かなくていいから寝ていなさい。
行かなくていいとそうすると、良くなり、部屋で本を読んだり。
母が偉かったのは、投稿刺激をしなかった。
奈良の小学校では優等生だった。オール5。唯一4をとったのは体育。その地域の名士で、前川家のボンボン。
特権意識の丸出し、
体育が4なのをみて、学校に怒鳴りつけて、2学期から5に。
お山の大将が東京でどん底に突き落とされた。
私にとって暗黒の時期で、これがケネディ暗殺とかさなって。
東京で港区に引っ越し。麻布笄町。子ども心に、ここでやり直そうと。
先生も良かった。ものすごく優しい先生で、それでうまくいき、ハッピーな生活を送った。
平成4年に報告書、誰にでも起こりうると。
いいとも悪いとも言わず、価値判断はない。その前は登校拒否、学校恐怖症。それらが使わられなくなって30年。
学校の方に問題ある。そこから何をしなければいけない。
個人の尊厳に立脚するのか、国家とか大きなところに従属させるのか、大きな方向の違いがある。
一人一人がかけがえのない存在で、価値がある。一人一人の生活を大切するために社会をつくる、というのが日本国憲法に基づいたありかた。
人がいて、集まって社会があって、国がある。
個人の尊厳に立脚する教育。
人間以外は、学校がなくても大人になる。
人間は、学ぶことで人間らしくなる。
自分で自分の人生を決めるためにも学ぶ必要がある。
序列はない、民族的人種的文化的なルーツや性別にかかわらず、尊厳において平等。LGBTも含めて。SOGI。
個人の尊厳において平等、13条、14条。そういう考えに基づいて教育は組み立てられないといけない。教育基本法等に、教育の理念に。
その前は逆で、国家に従属する教育が行われていた。お国のために命を捧げるのが立派。
その教育、明治19年。
学校発布は明治5年、試行錯誤を繰り返し、明治19年に戦前の学校制度の礎になった。国家に貢献する人材を育成する。軍隊にならった仕組みが取り入れられた。兵式体育、詰め入り制服、ランドセル、遠足は行軍。とくに行進。運動会などで、一糸乱れぬ行動、軍隊の分列行進。今でも小学校中学校でやっている。フランスの学校では分列行進はやっていなかった。日本の場合は、子どもたちをマスとしてとらえる。全隊止まれで、イチニで止まる。ぜんたいのたいは兵隊のたい。こういうのに馴染めない子どもは当然出てくる。どっちがいけないのか。こういう軍隊式の文化を残しているのがおかしいという考えがある。就学免除、戦前の義務教育のなごり、お国の役に立つための勉強なので、それが義務になる。お国の役に立つ見込みがない子どもは学校に来る意味がないから免除。徴兵免除と同じ考え方。
就学免除という言葉はいまだにある。問題がある、なくさないといけない。教育の義務は、今は意味が違っている。
バックボーンは教育勅語。日本人として一番大事な美徳と擦り込んで行った。これを否定して、180度変えて始まったのに、学校の文化として残っている。
1980年代、臨時教育審議会。中曽根総理。4年の時限立法。中曽根総理自身は、国のために尽くす人間を作りたいと思っていた、今も思っている。憲法改正前に教育基本法改正が必要、そのために作った。教育基本法は第一次安倍内閣で実現。もう一つ、新自由主義的方向での改革、市場原理、競争主義の導入、民間活力を生かそう。当時、3公社民営化。
中曽根総理の思惑と違って、極めてオープンに議論、第1分科会と第3分科会が対立、開かれた審議会。オープンに議論した結果、国家重視ではなく個人重視という元々の理念を重視。第1の原則、個性重視。個人の尊厳、個性の尊重、自由、自己責任、憲法の理念を再確認した。2番目、生涯学習体型への移行。教育の仕組みを学校中心ではなく、学校の他にも、学校を出ても、生涯を通じて学ぶんだよと。もともと学校以外にも学ぶ場はあった。図書館は知識の宝庫。学校だけではない。そして生涯教育ではなく、生涯学習という言葉を使った。教育という上から目線。本人の主体性、意欲関心を大切にする。読み書き教室にお邪魔した、まさに自ら勉強して、学びたいことを学んでいることは喜び。昼間の学校は、本当の学びになっていない。現場の先生方に気づいてほしい。三つ目は、国際化への変化への対応。30年前に打ち出している。今はもっと進んでいる。AI、国際化、国の中もいろいろなルーツの人が暮らしていく。入管法通った、移民化ですから、いっしょに作っていく、多文化多民族共生社会を作っていく覚悟をしないといけない。温暖化、テロ、サスティナブル、持続可能性ある社会を作っていかないといけない。人間が住み続けられる地球にしなければいけない。
そういう変化に対応するには、学んで考えて判断して行動していく、主体的な学びが重要。
臨教審の結論は、そういう方向を出した。臨教審のパラドックス。中曽根さんは臨教審は失敗だった、教育基本法の焼き直しにすぎなかった。中曽根さんの失敗の分析、会長の人選が失敗、経済人にすべきだった、事務局を文部官僚にした、民間人にすべきだった。
日本国憲法というのは、個人の尊厳を一番大事においていて、そこから学習権が導かれる。直接は書いていない。教育を受けるよりも根っこにある考え。13条の幸福追求権の中に学習権が含まれている。学問の自由も根拠になりうると思う。学問というのは広い、学者の学問、大学で行われている学問だけではない。漢字の勉強も学問。学習の意味を含む。学問のすすめも。小学生だって学問の自由を持っている。学習するのは、根源的な人間の権利。ちゃんと学習できる条件を整えなさいよというのが憲法26条、社会権、国にこれだけのことをやりなさいと求める権利。自由権は、国に余計なことをするなと関与するなという権利。学習権は両面を持っている。学びたいことを学ぶ権利と、国は学べる環境を作らないといけない。前川の話を聞いちゃいけんということはしちゃいけない。平等権、参政権などと密接な複合的な権利だと思う。
国は、やらなければいけないことと、やってはいけないことがある。38年間、教育行政に携わっていて、この二つのことを常に考えていた。
やらなければいけないこと。教育を受ける機会をすべての人に平等に保障、無償で、憲法の理念に基づいた教育を保障する。
やってはいけないこと。学問の自由に基づいて行われなければいけない教育に不当な介入をしてはいけない。学習指導要領、教科書検定はどうか。争われた。最高裁、一定の限度、大枠、大綱的基準は良い。学問的成果に基づいて年齢段階に応じて整理するのはいいということ役人や政治家が勝手にやっていいわけではない。それは憲法違反になると私は思っている。もう一つは、教育的差別。
教育の機会の保障。憲法26条。すべての国民、能力に応じて、等しく。解釈で補わないといけない。国民と書いているけど、この国に住んでいる全ての人。能力、能力あるなし、序列化ではなく、能力はそれぞれ違う、違うものをもっている、一つに尺度で測れるものではない。IQとか学力テストとかで序列化する測り方があるが、一面だけを取り出して測るのであって、その人の持っている能力の全体ではない。私は学校で勉強するのに、数学はどこまで必要なのか、生活とかの方が大切では。2次方程式は、中学ではなく高校に、でも中学に戻した。なんのために勉強しているかさっぱりわからない、数学の先生にはぜひ、なぜ学ぶのか、どういう役に立つのかをおしえてほしい。数学そのものの魅力がある。小学生の時、ピタゴラスの定理、すごいと思い、ハマりかけた。
能力に応じては個性に応じてと置き換えたほうがいい、能力。アインシュタインは、魚の能力を木登りで優劣をつけたら能力はないとされるだろう。
学びというのは、1人ではない。1人では生きられない、共にがあった方がいい、共に学ぶ。等しくの中に、共に学ぶを含むことができる。
教育基本法4条を読むとわかる。憲法14条と比べると違いがわかる。人種性別社会的身分門地は同じ。教育基本法、教育を受ける権利については、経済的地位が基本法に入っている。等しくが実現されていない。高等教育を受ける機会は明らかに格差がある。児童養護施設出身は、3割に達していない。給付型奨学金は必須。経済的な条件にも左右されない。憲法の理想として書いてあるが追いついていない。
義務教育、無償。子どもの保護者である国民に課している。戦前の子どもが国家に負っている義務ではない。私は、憲法に国民の義務を書く必要はない。法律に書けばいい。憲法に書くべきは、国の義務。言葉の上に、国の義務がある。法律には、就学義務と書かれている。非常に問題。本当に義務を負っているのは国だ。1項も変えた方がいいが、2項は変えた方がいい。そうなると義務教育という言葉は使わなくていい。やめた方がいい。権利教育であり、国に保障する義務がある。保護者には義務があるが、子どもに対する義務であって、国に対する義務ではない。
国が義務を果たしていない現実が見えてくる。
その現実を突きつけているのが不登校。
国が無償の教育を受ける権利を保障されていない状態がはっきりと見えてくる。
一昨年の12月、義務教育確保法、教育機会確保法。画期的な法律。学校中心主義から脱却するきっかけになる。義務教育に関しては学校という考えが根強くある。臨教審で学校だけではないという方向を打ち出してはいたが。年齢国籍にかかわらずを再確認した。国籍にかかわりなくを言い切った。憲法を超えている。国際人権規約、子どもの権利条約など国際的条約では、外国籍の人も教育を受ける権利保障されている。日本の法律で初めて。
不登校の問題と正面から向き合っている。
まず学校が子どもに居やすい場所でなければいけない。学校の側に変革を求めている。
学校は画一的仕組みなので、馴染まない子どもが出てくる。窓際のトットちゃん。出席停止された。今でも出席停止がある。その子の学習権はどうするのか。ともえ学園に。自由が丘にあったと言われる。大正時代に自由教育、個性を大切にする学校。自由が丘という地名は、学校から来ている。校舎は電車、自由席。戦時中も残っていた。空襲で焼けるまで存在した。こんな自由な学校が存在したのは、奇跡。学校ではないところで学ぶことを認めていた。国民学校にした時に、なくした。ナチスドイツの制度を真似たと言われる。しかし、すでにあった私立学校は当分認めるという例外規定があった。厳格な就学義務の考え方が、今に引き継がれていて、学校以外での教育を認めない。学校教育法は、許さない。憲法、教育基本法は学校以外の場所を認めている。これを打ち破る一歩が、教育機会確保法。文科省が作った法律ではない。超党派議員連盟でつくった。私はお手伝いしただけ。馳浩さんのお手伝いをした。当初案に、超党派で反対。子どもたちに無理を強いているのを承認している。その後引き継いだ丹羽私案がベースに法律。学校には在籍するが、外で学ぶことを認めた。いろんな学びの場がある。学校を休む、休養する権利を認めた。15歳までに十分に学ぶ機会がなかった人が学び直す機会を認める。夜間中学に、形式卒業者も認めた。1980年代までは、除籍していたが、卒業証書だけあげる。学力が追いついていない。夜間中学に入りたくても門前払いしていた。法律に基づかず、行政的措置で。今、夜間中学は外国人が多い。最終的には、中学卒業の学力をつけるのが目的。外国人が入ってくるので、日本語教育を保障することが必要。移民政策なき移民解放。国の責任。あの中国には、夜間中学が一つもない。
インクルージブル教育。できる限り、共に学ぶ環境を。理念として。常に近づく目標ととらえる必要がある。努力しなければいけない、広げる必要。共に学び共に生きる条件をつくっていく。
障害を持つ人も高等教育を受けられる環境を。
LGBT。当たり前のアイデンティティだ、人権であり、人権教育。教育勅語は、LGBTを大切にする考え方と逆。南アフリカの憲法。最新の人権感覚を教育の中に取り入れていかなければいけない。
最後に行き着くのは多様性。
ありがとうございます。