結婚の自由をすべての人に九州訴訟控訴審の口頭弁論で、控訴人ら代理人弁護士として法廷で意見を述べました。

第1 性的マイノリティはいないのではなく見えていないだけ

もし、自分の周りには性的マイノリティはいないと思っている人は、それは、性的マイノリティがいないのではなく、あなたに見えていないだけ。あなたには絶対に言えないと思っている当事者もいるということです。当然、裁判官や裁判所職員、法務省の職員の中にも悩み苦しんでいる人たちがいるでしょう。

弁護士という仕事をしていると、様々な場面でカミングアウトを受けることがあります。カミングアウトを受けた時「突然」に感じますが、十分に考えて覚悟をした上で大切な話をしてくれる当事者もいるのです。

控訴人ら6名は、裁判官なら理解してくれるかもしれない、裁判官だったら助けてくれるかもしれないと思ったからこそ、提訴を決意したのです。

原判決は、「婚姻をするかしないか及び誰とするかを自己の意思で決定することは同性愛者にとっても尊重されるべき人格的利益である」、「もはや個人の尊厳に立脚すべきものとする憲法24条2項に違反する状態にあると言わざるを得ない」と控訴人らの訴えに寄り添う姿勢を示しました。

しかし、そこまで言っておきながら、原判決は、立法府における議論や検討に委ねざるを得ないとして、憲法の各条項に反するとまでは言えないとしました。

多数決原理を基盤とする立法府において少数派である性的マイノリティの権利保障が機能しないからこそ、控訴人らは裁判所に助けを求めました。それなのに、立法府の判断に委ねるとすることは、国民の裁判所に対する期待と信頼を裏切るものでしかありません。

第2 制服変更の体験

私は、以前、福岡市立警固中学校PTA会長を務めていました。

その中で、セーラー服、詰め襟といった男女を明確に分ける制服のせいで学校に行くことができない若者の話を聴き、制服改革に取り組みました。

当初、制服の改変は必要ないとの意見が大勢でした。

制服を文字通り標準服として運用したり、男女を問わない制服に変更すれば済む話なのに、学校現場ではそれができませんでした。

制服のジェンダーフリー化は10年早いとも言われました。

じゃあ、10年経ったら自動的に変わるのか。そんなわけありません。

警固中学校1校だけの取り組みが始まり、2019年に性別を問わずに選択できるジェンダーフリー標準服を九州の公立中学校ではじめて導入しました。

今では福岡県内の多くの中学校でジェンダーフリー標準服が普及しています。

ここで、考えて欲しいのは、教育委員会や議会の理解が十分に進んだからこのような取り組みが広がったわけではないという点です。

性別で分けられた制服に苦しんでいる学生がたとえ一人であっても、その一人に我慢を強いることは人権尊重の観点から許されない。そのような思いが制度を動かしたのです。

第3 社会は変わってきている

控訴理由書(2)で述べたとおり、同性婚については、その法制化に賛成する意見が多数を占めており、その割合は急速に増加しています。

3年前、私は、控訴人のこうすけさんとまさひろさんの結婚式に出席しました。結婚式の様子は一審で証拠として提出しています。ぜひもう一度御覧ください。

親族や友人が祝福する温かい結婚式でした。

多くの方が感動の涙を流しました。

それは、この結婚式が極めて「普通」だったからです。

参列者も、式場のスタッフも、「普通」に二人を祝福し、二人の幸せを願いました。誰も二人が同性であることを気にしていません。

この二人が法律上の結婚ができないということこそが「異常」なのです。

原判決では、「同性婚が異性婚と異ならない実態と社会的承認がある場合には、同性婚は『婚姻』(憲法24条1項)に含まれると解する余地がある」と判示しましたが、すでにその実態と十分な社会的承認があるのです。

現に苦しんでいる人を目の前にしたとき、たとえ多数派の承認を得られなくても少数派の人権を保障するのが裁判所の役割です。ましてや、すでに社会的承認があるという状況において、立法府が少数派に対する人権侵害を放置している場合には、なおのこと裁判所が積極的に人権保障に乗り出すべきです。

第4 原判決の評価すべき点

原判決は「婚姻をするかしないか及び誰とするかを自己の意思で決定することは同性愛者にとっても尊重されるべき人格的利益である」とし、「婚姻ができず、その効果を自らの意思で発生させられないことは看過しがたい不利益であると認め」、「原告らはその人格的利益を侵害されている事態に至っている」と指摘しました。また、同性カップルの人的結合に関する事項は、憲法24条2項の「『婚姻及び家族に関するその他の事項』に該当するものということができる」と判示しました。

このように原判決が、同性愛者等の性的マイノリティが現実に直面している不利益を汲み取り、「両性」等の文言に拘泥することなく、社会の変化を踏まえて、同性カップルが「婚姻」の当事者に包摂される余地があることを認めたことは高く評価できるものです。

控訴審においては、少なくとも原判決の指摘から後退することはあってはならないと考えます。

むしろ、同性愛者が看過しがたい不利益に日々さらされている現状を踏まえるのであれば、「同性婚が異性婚と異ならない実態と社会的承認がある場合」との留保をつけるのではなく、国内外の社会の変化を直視し、同性カップルの婚姻も憲法24条1項の「婚姻」に含まれる、あるいは同性カップルの結婚の自由が憲法13条によって保障されると明確に宣言すべきです。

第5 結婚の自由は法制度以前に保障されている自由である

原判決は、婚姻が「法律上の制度」であることを理由に同性カップルの結婚の自由が憲法13条では保障されないとしました。

しかし、再婚禁止期間違憲判決調査官解説において「法律婚自体の廃止は許されないだろうし、法律婚の要件として不合理なものを規定すれば違憲の問題が生じうる」としていることから明らかなように、婚姻の自由は、法律によって創設された制度ではなく、法制度以前に、国民に保障された自由です。

婚姻の自由の核心部分である婚姻をするかしないか及び誰とするかを自分の意思で決定することは、法制度以前に憲法上保障されている自由なのです。

法律上の制度がないことを理由に憲法上保障されている権利を否定することは、最高法規である憲法の存在意義を否定するものと言わざるを得ません。

第6 一歩踏み出す勇気を

高裁が一歩踏み出すことで同性婚の法制化が前進します。福岡高裁から声を上げることで誰もが暮らしやすい社会へと前進させようではありませんか。

裁判官の勇気に期待しています。

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